- 近所の人へ
- 名前も知らないけど登校中や帰ってきたとき、いつも笑顔で「いってらっしゃい」や「おかえりなさい」といってくれて学校へもっと行く気になります。近所の人はつかれているかもしれないのに、あかるくやさしい言葉で声をかけてくれるのでとてもうれしいです。毎日ありがとうございます。ぼくも、近所の人に出会ったら通り過ぎるのではなく、しっかりとあいさつを出来たらなと思います。自分がつかれているときも、やさしい言葉のおかげで元気が出ます。声をかけてくれて本当にありがとうございます。
- 愛知県 11才 男子
- 昔の友達へ
- 私は高校1年生の頃いじめに遭い、不登校になりました。その時に「お前なら新しいところでもやっていける」と転校を決断させてくれたのが、あなたでした。それまで私は毎日のように泣いて、家族と喧嘩をしていました。その言葉のおかげで、ずっと悩んでいた毎日が一変したことを今でも覚えています。その後、私は新しい高校で勉強を頑張って、全ての試験で100点を獲ったよ。そして第一志望の大学に合格して教員免許を取って、今では教員として働いているよ。あなたが私に生きる希望を与えてくれたように、今度は私がたくさんの人に生きる希望を与えられるようにまでなったよ。あの時、私を救ってくれてありがとう。今は連絡手段がなく、感謝を伝えることができません。この気持ちを、どこかにいるあなたに伝えられたら嬉しいと思っています。
- 千葉県 27才 女性
- マンションの管理人へ
- マンションの管理人室の出窓にいつも小さなビンに入った花が飾ってあります。バラ、紫陽花、水仙、つつじなど、もともと住人が不要になった鉢植えなど駐輪場の隣の一坪くらいの花壇に植えなおし、大きくなった花です。飾っているのは通いの管理人さんです。殺風景なエントランスにそっと咲く花の中にも季節を感じ、声をかけると、「1本入れてるだけなんですよ、何もないよりいいかなと思ってね」と60代後半の男性の管理人さんは笑って言います。一輪挿しを見るたび、管理人さんのさり気ない心遣いが嬉しく、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
- 東京都 40才 女性
- 亡き教え子へ
- 卒業から8年。難病と闘っているって、元部長から聞いていたんだ。けど、突然の君からの電話。「先生、私もうダメかもしれない。もう一度、みんなと音楽がしたい。ステージに立ちたい。」正直、動揺を隠せなかった俺。情けなくてごめんな。よし、楽しく音楽をしようぜ!って同期に声かけたら、みんな笑顔で全国各地から集まったな。そして車椅子で現れた君もまた、飛びきりの笑顔だった。あの日、思い出のホールで君達のテーマ曲「明日に架ける橋」を演奏し僕は指揮をした。そして…。ライトに照らされたフルートソロの君。その姿を僕は決して忘れはしない。命の尊さ、輝き、命の意味を、君はみんなに教えてくれたんだ。Yよ、ありがとう。
- 秋田県 37才 男性
- お父さん、お母さんへ
- いつもありがとう。その気持ちでいつもいっぱいです。お父さんには、いつも朝早くから夜おそくまで働いてくれてありがとう。休みの日はプールやお買い物、楽しい場所に連れていってくれてありがとう。お母さんには、いつも家事などをがんばってくれてありがとう。いそがしいけれど、公園に連れていってくれたり、勉強を教えてくれてありがとう。悪い事をしたときにはしかってくれてありがとう。いいことをしたときにはほめてくれてありがとう。私はいつも家族といれるだけで毎日が幸せです。お父さんの仕事がいそがしくて夜おそいとき、ご飯がいっしょに食べれなかったときは、また今日もか…と思っていたけれど、いつもありがとうと思っています。
- 愛知県 11才 女子
- 電車のなかで会った外国旅行者へ
- 母親と一緒に電車に乗って出かけた時のことです。いつもは元気な母なのですが、その時は傍目には分からなかったけれど、足を痛めていました。私は母を座らせたくて座席を見渡しましたが、どこもいっぱいでした。「しょうがないな」とため息をついて下を向いていた瞬間、視線を感じて顔をあげると、日本に旅行に来ているであろう外国人と目があいました。その方は身振り手振りで母親に席を譲ってくれたんです。言葉が分からない異国の地で、私と母親の雰囲気だけを察して、ためらいもなく席を譲ってくださった行動に心が温かくなりました。日本国内でも座席を譲るのに勇気がいるのに、私も異国の地であっても、席を譲ることができるような人になりたいと思えました。本当にありがとうございました。
- 大阪府 39才 女性
- 息子へ
- 3歳の息子へ、心からありがとう。仕事に家事に育児にと毎日目が回る思いでいるせいか、ついイライラして小さな事で怒ってしまってごめんね。そんな毎日を繰り返していたある日私の母が乳癌に…落ち込む母に「絶対治るから」「一緒に頑張ろう!」と私がどんな言葉をかけても、本当の笑顔は引き出せなかった。元気のない母のことを息子には何も伝えず実家に帰った日、いつも通りに振る舞う母に息子が駆け寄り「ばーば、どした?げんき?」と声をかけた。母は部屋を飛び出してわんわん泣いていて私も涙が止まらなかった。泣いてスッキリした母は部屋に戻って息子と遊んでいた。その時の顔は心から笑っていたと思う。息子、そばに居てくれるだけで私も周りも自然と笑顔になるよ。そんな息子に心からありがとうを贈りたいです。
- 埼玉県 29才 女性
- 農家の人へ
- ぼくはある日、ちょっと考えました。「この野菜はどうやって育てられ、どのようなてまがあるのかな~」と思いました。そしてぼくは、おじいちゃんの家に行きました。おじいちゃんのところには畑があります。ぼくはおじいちゃんに聞きました。そしたらぼくは、「どうやって育てられ、そのようなてまがあるのか」しることができました。野菜を作ってくれる農家の人たち、いつもありがとうございます。
- 愛知県 11才 男子
- バスツアーの小さい男の子へ
- 私はバス会社の添乗員をしています。昔、添乗でバス乗車してるときのこと。ある団体さんのツアーバスで大人に混じって1人、4~5歳くらいの男の子がおり、初めてのバスに喜び非常に興奮していました。それを見て「おとなしくする」を条件に運転手の隣の助手席に座らせたのです。大きな窓ガラス越しに見る景色に目を輝かせ、時折、不思議そうにずっとドライバーを眺めながら、必死に興奮を抑えているのがわかりました。興奮で疲れたのか、しばらくすると寝てしまったので、私が抱っこして後方に座るお母さんにお預けしました。一度起きたようですが、目的地に着いた時には男の子はまた深い眠りについておりました。寝てる子供を抱きかかえたお母さんから「コレを」と運転手に何かを渡していました。それは、運転手が運転してる絵で、下のほうに「うんてんしさん ありがとお」と書いていました。起きて、リュックからラクガキ帳をだしてそれを書きだし、「大きくなったらバスの運転手になろう」って言ってきたんです。その絵は今でも会社の事務所に飾っております。なぜか見るたびに心がやすらぎます。あるドライバーが言ってました。「これみると、何故か安全運転せなあかん。て改めて思うんだ」と。そんな温かい気持ちにさせてくれる絵。ほんとにありがとう。
- 大阪府 42才 男性
- あの時の男性へ
- 私が、五さいの時。保育園を休んでハワイ旅行に行きました。ホテルに着いて、海へ行こうとエレベーターにのろうとしたその時、エレベーターのとびらは私以外の家族をおいて、しまってしまいました。エレベーターの中は、私と外国人男性のあわせて二人になりました。一階に着きました。けれども、男性はおりようとせず、私がのってきた階のボタンをおしました。そして私は家族と会うことができました。ですがあの時不安だった私を助けてくれたあの男性に英語をしゃべれなかった私はお礼が言えませんでした。でも、六年たって成長できた私は、英語をしゃべれるようになりました。Thank you.この思いが届いていますように。
- 愛知県 11才 女子