ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2019-2020

絆創造業 平安閣グループ

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閉店したデパートの店員さんへ
70年以上続いた老舗のデパートが閉店しました。時代の流れについていけずの閉店。学生時代は毎日行ってたので、店員さんにも顔を覚えられて、その店員さんが通勤のために毎日家の前を通るので「おはよう、いってらっしゃい!」そして「行ってきまーす!」と元気な声をお互いにかけあってました。当たり前の挨拶が当たり前のように続いていました。それが閉店でその当たり前のこともなくなりました。しばらく寂しさでいっぱいでした。最近、偶然にも大型スーパーで働くその人を見かけました。「いらっしゃいませ!」あいかわらず元気な声でした「頑張って~!」と私が言うと笑って答えてくれました。この店員さんのおかげで私は人との触れ合い、言葉の大切さを教えられました。感謝です!なつかしい良い思い出です。
北海道 56才 男性
監督へ
監督。貴方の熱心な指導のおかげで、全くの初心者だった私が全国大会で入賞できる選手になれました。当時の私は思春期真っ盛りで、厳しい貴方に反発してばかりでした。徐々に記録が伸びていき、出られる大会も多くなってくると、毎週休み返上で練習や大会に一緒に来てくださいましたね。あの時、監督にはまだ小さな娘さんがいたのに、その親子の時間を割いてまであらゆる大会に監督としてサポートしてくださいましたね。今、私は当時の娘さんと同じ年齢の息子がいます。息子と一緒に居るたびに、監督がどれほど娘さんと休日を過ごしたかっただろうと感じます。だからこそ、あの当時ちゃんと言えなかった「ありがとう」を10年以上経った今、きちんと伝えたいです。本当にありがとうございました。
東京都 30才 女性
お父さんへ
お父さんは朝、仕事に行く前にぼくといってきますのあく手をします。夜もぼくがおきている時は、おやすみのあく手をします。今までは、なんであく手するのかよく分からなかったけど、さいきんなんとなく思うのはあく手にもいろんな気持ちがあるのかなと思います。たとえば、いってきますのあく手は、気をつけてね、がんばってねの気持ち。おやすみのあく手は今日も一日がんばったねとか楽しくすごせたかなとかの気持ち。いつも仕事がいそがしくて、あんまり一緒に遊んだりできないけど、ぼくのこと思ってくれているお父さん、ありがとう。またバッタつかまえようね!
愛知県 8才 男子
塾の友達へ
私が塾の先生に誤解された時、私をかばってくれた友達。「ありがとう。」とひとこと言うだけなのに、勇気が出なくて、言えなかった。それからも何回もたすけてくれたのに、「ありがとう。」とひとことも言えなくて、自分がくやしかった。心では言えるのに、言葉では言えませんでした。なんだか友達なのかわからなくなった時もあって、とてもつらかった。でも「ありがとう。」って言えるかっこいい人たちになりたくて、紙に書いて伝えていた。これでいいのかなと思った。心のこもった言葉で言いたい。友達には本当に感謝している。だから、もっと心のこもった言葉で「ありがとう。」と言いたい。いつも本当にありがとう。これからは口で言えるまでまっててね。
愛知県 11才 女子
愛犬たちへ
僕が高一の時、友人宅で産まれた子犬を引き取り、その後、縁あって野良だった犬を引き取り、二匹との生活が始まりました。「犬達が待ってるから早く帰らなきゃ」が家族の口癖なくらい愛犬中心の毎日でした。元野良の子は全身に腫瘍ができ闘病の末亡くなりました。家族を失くす悲しみを初めて知りました。その後僕は結婚をし、待望の赤ちゃんを授かりました。出産も間近になった時、体調不良だった先住犬が余命宣告を受けました。息子が生まれた二週間後、天国へ旅立ちました。息子が帰ってくるまで待っていてくれてありがとう。僕の家族になってくれてありがとう。たくさんの楽しい思い出をありがとう。またお墓に会いに行くから待っててね。
福岡県 37才 男性
自分の右手へ
自宅で転倒、右手首にヒビが入り、ギプス生活に。利き手でしたのでなんと不便な事。普通に出来ていた事が全て出来ません。どんどんストレスが溜まり、手首より心が痛んで来ます。フィギュアスケート選手の派手な転び方は手首を守り、体で受け止めていたのです。存在も感じなくて当たり前に使っていた右手です。幸せな生活が出来ていたのも右手のお陰です。今はしっかり存在を感じつつ、復活に向けています。
愛知県 75才 女性
妹へ
「一人っ子になりたい。」そんな思いをずっといだいていた私。その原因は、口ごたえが多く、生意気な8才の妹。最近はけんかばかりで、妹に良い所などないと思った日も少なくありませんでした。でも、そんな思いをくつがえすことがおきました。私が病気でねこんでいる時に、「大丈夫?」と何度も言ってくれたことでした。けんかばかりしていた私に優しく接してくれてうれしかったからです。思い返せば、その出来事の前から妹は、私に優しかったのかも知れません。私が妹を悪く思っていたのは、私がその妹の優しさに気付いていなかったからだと思います。そんな優しい妹に私は、「ありがとう」と伝えたいです。
愛知県 11才 女子
夢をくれた病院の先生へ
3年前、おじいちゃんがガンで入院したとき、毎日毎日おじいちゃんの治療にあたってくれ、そして不安になっている私たち家族の心配もしてくれた先生。私がおみまいにいくといつも仕事をしていて、 先生はいつ寝ているんだろう? と思うとともに患者さんのことを第一に考えてくれる先生に感謝の気持ちでいっぱいでした。私は先生の仕事をみているうちに、私も先生のようなお医者さんになりたいと思うようになり、夢が出来ました。残念ながらおじいちゃんは亡くなってしまったけど、最後まで一緒に病気とたたかってくれた先生。そして私に大きな夢を与えてくれた先生。ありがとうございます。いつかきっと先生みたいなお医者さんになれるように努力します。
愛知県 12才 女子
駅で出会った方へ
あれは息子がまだ生後6ヶ月の頃。気分転換に初めて2人きりで電車に乗って出掛けた時でした。ずっと大人しかった息子が、帰りの電車を待っている時に突然グズり始めました。お腹は空いていないはずだし、オムツも替えたばかりだし、なぜ泣いているのかわからず、周囲の目も気になり慌てる私。その時ちょうど隣にいたあなたが優しく声をかけてくれましたね。「うるさくてすみません」と謝る私に「赤ちゃんは泣くものよ。元気で何より」と。電車の中でもベビーカーを持つのを手伝ってくださり、帰り際には「大変だろうけど、これからも頑張ってね」と声をかけてくれましたね。あの優しさが支えとなり、今まで育児を頑張ってこれました。その息子も今年で4歳。2人目も生まれ、今では2児の母となりました。私も少しでも気遣いが出来る人になりたいなと思っています。あの時は本当にありがとうございました。
茨城県 32才 女性
稲荷町の皆さんへ
今日は松が谷店に夫が出勤する最終日。六月末で雨も時折強まる中、たくさんの方が足を運んでくださって「寂しくなるね。また戻って来れないの?」と声をかけてくださいました。チェーンの八百屋さんで働いている夫は、この松が谷店に来て約一年、お客さんや商店街の方々に支えられてきました。先日、他店への異動が決まってからは本当に毎日寂しそうで一日一日を惜しむように仕事へ向かう日々。そして、異動を聞いた方々が、ここ数日「買う物ないのに来ちゃったわ」とご挨拶に来てくれていました。いつも「松が谷の人達は本当に優しくて温かい」と言っている夫。お互いが笑顔になれる様に、思いやりを持って動いてきた事が今日に繋がっているのだと感じます。ご家族で来てくださったお花屋さん、色紙とケーキを下さったケーキ屋さん、メッセージ入りのクッキーを下さったお菓子屋さん、美味しいお料理を食べさせてくれた割烹さん、お散歩がてら、いつも来てくださった動物病院の先生、シルバーカーで来てくれるおばあちゃん、そして一緒に頑張ってくださった店長さん。皆さん本当にお世話になりました。こんなにたくさんの方々に愛されて夫は幸せ者です。皆さんの温かい気持ちは、この先ずっとずっと忘れません。どうか皆さんがこれからも笑顔であります様に。本当にありがとうございました。
東京都 31才 女性
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