- 親切を教えてくれた人へ
- キャラメルポップコーンを食べながら映画を観ることを何よりも心待ちにしていた5才の息子。30分も並びやっと手に入れたポップコーンを前に、目をキラキラ輝かせ大興奮していました。映画も始まっていましたので入場口へと急ぎました。チケットを出そうとしたその時、手に持っていた息子の大好きなポップコーンが宙に舞い、それと同時に息子は床に這いつくばって大泣きです。困っていた私に、見ず知らずの方が「半分だけだけど、ごめんね。」と笑顔で分けてくださったのです。それを見た息子はすぐに泣き止み上機嫌。私は嬉しさのあまり泣きそうになりながら何度もお礼を言いました。改めて伝えたいです。あの時は、本当にありがとうございました。
- 愛知県 35才 女性
- 息子へ
- 結婚が決まり、あなたに贈ろうと赤ちゃんからのアルバムを見ていたら、抱っこした時の柔らかくて温かかった幸せに満ちた気持ちが蘇ってきました。それから、肩たたき券、お手伝い券なども出てきました。うれしくて毎年1枚ずつ残して「お母さん、ありがとう」の手紙に貼ったことを思い出しました。「子は宝」、本当にそうでした。あなたがいてくれて、辛い時も苦しい時も、子どもの笑顔に助けられて、母として頑張れました。良き伴侶を得て、次はあなたがお父さんになる番です。温かい家庭を築いてくださいね。今までたくさんのありがとうを「ありがとう」。
- 愛知県 64才 女性
- 前校長先生へ
- 私が五年生だった時のこと。その日は授業参観で、母は家にいません。なので、ポケットにかぎをいれて下校しました。家についた時、かぎをとろうとしました。でも、かぎは入っていませんでした。あせって、むちゅうになり、学校に走りました。とちゅうで、一年生を見送っている校長先生にあいました。あせっている私に気づいたのか声をかけてきました。そのことを話したら、いっしょにさがしてくれて、見つけることができました。その時は、はずかしくて「ありがとう」と言うことができませんでした。とっても感謝しているのに。でも、今なら言えます。ありがとう。
- 愛知県 12才 女子
- 祖母へ
- おじいちゃんが亡くなって早7年。一緒にお墓参りに行った時、ふとおばあちゃんは、おじいちゃんの3歳年下だったけど、その歳を追い越したんだなぁと思った。「おばあちゃん、何才になったんだっけ?」と聞くと「今年で72才。じいちゃんは75才や。」と墓掃除をしながら何気なく答えたね。おじいちゃんは、おばあちゃんの心の中では今でも一緒に生きて、歳を重ねていることを知りました。あの時は胸がつまってしまって何も言えなかったけど、愛するということを教えてくれてありがとう。私も同じくらい愛せそうな人と一緒になれました。これからゆっくりと、おじいちゃんとおばあちゃんのような二人になれたらいいな。
- 大阪府 34才 女性
- 来年で退職するお父さんへ
- いつも家族のために片道1時間以上もかけて仕事に行っているお父さん。残業の時は日付が変わる頃に帰ってくることも。私が社会人になって、仕事が辛かったりしたときによく愚痴りに実家に帰ってたよね。なのに、今思うとお父さんから愚痴を聞いたことは一度もありません。大変だったのにね。何不自由なく過ごしてこられたのはお父さんのおかげです。休日には家族に特製チャーハンを作ってくれたね。長い間、本当にお疲れ様。そして本当にありがとう。これからは娘として、親孝行をするつもりです。元気に長生きしてね。いつも家族のためにありがとう。
- 秋田県 28才 女性
- おばあちゃんへ
- おばあちゃんはいつも、私達家族を支えてくれる。私は4人兄弟の3番目。一番上のお姉ちゃんが小さいときから、子守りをしたり、ごはんを作ってくれたりと、家族思いのおばあちゃんだ。おばあちゃんはピアノの先生をしている。兄弟みんな、ピアノはおばあちゃんに教えてもらった。そのおかげで、お姉ちゃんは、合唱コンクールのばん奏に選ばれた。でも今は、おじいちゃんが病気で亡くなってしまい、一人で暮らしている。それでも、やさしい地域の方々や、家族のみんなに愛されて、今も元気に暮らしている。私はそんなおばあちゃんが大好きだ。これからも長生きしてほしい。その思いが、いつもはずかしくて言えない。おばあちゃん、いつも本当にありがとう。
- 愛知県 11才 女子
- 娘へ
- 娘が大学を卒業して、この春から社会人として働き始めた。いよいよ家を出るという日、改まってこんなことを言われた。「今まで育ててくれてありがとう。ここまで長かったでしょう。」娘が生まれた時からのことが思い出されて、目じりから涙がにじんできて、おまけに鼻水まで流れてくる。でも、どうしても娘には言っておきたい。「こちらこそ。今まで育てさせてくれてありがとう。ここまでは長いどころか、あっという間だったよ。ずっと育てることができて幸せだった。お父さんお母さんの子どもとして、生まれてきてくれて本当にありがとう」。
- 北海道 57才 男性
- 主人の職場の皆さんへ
- 5年前、突然の人事異動で調理の仕事しか知らない主人は、本社で事務の仕事になりました。主人の辛さと不安も大きかったと思いますが、何も出来ない人を迎えなくてはいけない皆さんも同じように不安ばかりだったと思います。不器用な主人は人の名前もなかなか覚えれない、仕事もそうだったと思います。そしてすぐに熱くなり怒るので、皆さんはピリピリされていたかと思います。でも、皆さんの事が大好きで大切な家族の様な存在に思っていました。また突然の異動で皆さんとお別れすることになりました。口に出して褒めたりありがとうを言うのは苦手な人なので、皆さんに伝わっていたかわかりませんが、今日は私が主人に代わって言わせてください。「ありがとうございました。」
- 愛知県 48才 女性
- わが家に来るつばめへ
- 毎年のようにわが家に来てくれるつばめ。ゴールデンウィークが近くなるといつも思う。「今年もつばめ来てくれるかな?」時には巣を猫にねらわれ、こわされたり、親鳥が車にひかれたりと悲しいこともありますが、ひなが巣立った時はとてもうれしく思います。まるで自分が育てたかのようにさっかくします。出かけるとき様子を見て「いってきます。」と声をかけ、帰宅した時「ただいま元気だった?」と思わず声をかけてしまいます。つばめは家族の一員です。つばめさん、いつも私をいやしてくれて「ありがとう」。そして来年も来てくれるの楽しみに待っているよ。
- 愛知県 11才 女子
- 母親へ
- 今更になって、こんなことを言うのも可笑しいと思うんですが、毎日お弁当を高校一年の時から大学四年までの7年間作っていただいて、ありがとうございました。お弁当だけじゃなくて、日々の朝食、夕食もなんですが。今、京都の大学院に通って一人暮らしをして、弁当や日々の食事を自炊して、その大変さに驚かされます。しかも、作るのはいつも簡単なものばかりで、実家にいた時のコロッケやグラタンなどの手のこんだ料理なんて全く作れず。働きながら、料理も作るっていうのがどんなに大変か、今更ながら感じています。ほんとに、ありがとうございました。今なら、その重みも感じます。
- 京都府 22才 男性