ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2020-2021

絆創造業 平安閣グループ

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声をかけてくださった薬剤師さんへ
なかなか寝付けない日々が1年以上続いていた。日に日に疲れが増し体調もすぐれないので、意を決してドラッグストアに向かった。睡眠導入剤のコーナーをうろうろする私に気づいた薬剤師さんが「何か、お探しですか」と声をかけてくださった。私は現在の状況を伝え、よく眠れる薬を教えて欲しいと伝えると、薬剤師さんから意外な言葉が返ってきた。それは「あなたに今必要なのは、薬じゃないよ。お母さんは毎日頑張り過ぎているの。薬を買う代わりにそのお金で、お母さんの大好きな食べ物を買って、心に栄養をあげてね」という言葉だった。以来、嘘のように毎日ぐっすり熟睡できるようになった。薬剤師さんありがとう。
愛知県 45才 女性
両親へ
「ごめんね、迷惑かけることになると思うけど…」と会社に辞表を出したことを伝えた。きっと両親は良くは思わないだろう、心配するだろう、迷惑かけられると思うだろうと思っていたら、2人は口を揃えて「せっかくだから3人で旅行をしよう!」と。その時は拍子抜けのことを言う両親だとびっくりしましたが、私のことを想って気を遣ってくれたんですね、本当にありがとう。数か月、特別なことはなくても普通に接してくれたことで少しずつ笑顔になれ、信じていてくれたことに感謝しています。今、再び笑顔で社会復帰できたのは立ち止まる時間をそっと見守ってくれていたお父さん、お母さんのおかげです。
愛知県 43才 女性
亡夫へ
今は亡き主人にありがとうと言いたい。今年で三十三回忌。私のわからない事を尋ねると教えてくれ、自分もわからない時は「調べて教えてやるわ」と調べてくれる兄のような厳しいところもあったが、親切だった。死ぬ迄勉強だといって基礎英語英会話の勉強をしていたが、朝起きたら亡くなっていた。驚きと悲しみで涙も出ませんでした。夏休みは登山、最後の旅行は出雲大社だった。
愛知県 93才 女性
お母ちゃんへ
お母ちゃん、元気かね。きっと居心地良い所だろうね。私も年を取りました。今度逢う時は2人は姉妹のように見えるよ。私は年を重ね、お母ちゃんはあの時のまま。今でも思い出しますあなたのあの姿。お父さんに逢えましたか。私が行くまでに捜しておいてください。今この世では新型コロナで大騒ぎです。高齢な私は運だけで生きています。でも大丈夫。お母ちゃんが丈夫な体に生んでくれたお陰で今でも東山動物園へオランウータンのアキちゃんに逢いに行っています。10年もかかったよ、アキちゃんが名前を呼ぶと目の前まで来てちょこんと座り頬杖していつまでも私の前から離れません。又、帰りが大変。帰る時アキちゃんまたねと挨拶すると走ってついて来ます。お母ちゃんありがとう。生んでくれてありがとう。
愛知県 75才 女性
同じバス停を使うおじさん、おばさんへ
私が小さい時、雨の日に傘を忘れた私に、バスが来るまで自分の傘を私に貸してくれましたね。ありがとう。ビジョビジョになっている2人を見て、私は感謝するとともに、将来私もこんな優しい大人になりたいという尊敬の念も抱きました。また、2人からは「ありがとう」の大切さも学びました。当時、私は恥ずかしかったけれどお礼を言うことができました。その時の嬉しかった気持ちは一生忘れません。私が大人になったら、たくさんの人に親切にし、2人のように「ありがとう」をたくさん言われるような大人になりたいです。
愛知県 12才 女子
パートナーへ
ひどい咳と胸の痛みで病院へ。そしてC T検査で肺に影が見つかり、深刻な病気の疑いで入院した。その時、君が用意してくれた物の中にボックスティッシュがあった。いろいろな草花の絵柄の中から「四つ葉のクローバー」を選んでくれたんだね。ありがとう。さりげないその小さな思いやりに涙が出た。優しい君を残して死ぬわけにはいかないと強く思った。そして今、君のたくさんの優しさの中で生きている。本当にありがとう!一生かけて感謝を伝えたい。
大阪府 50才 男性
両親へ
ぼくは、「ありがとう」というたった一言が身近な人にほど伝えることができません。言葉にしていないだけでぼくはとても感謝しています。とくに両親にはすごく感謝しています。おばあちゃんに感謝しています。ぼくのおばあちゃんは、最近亡くなりました。おばあちゃんのいうことはあまりききませんでした。でもありがとうと思っていました。亡くなる前に「ありがとう」その一言がいえませんでした。なのでおじいちゃんや両親には、「いつもありがとういつも感謝してます」と言いたいです。
愛知県 11才 男子
旅先で出会った人へ
50年ほど前、大学生だった私は初めての海外一人旅で、シンガポールからバスでマレーシアのジョホールバルに着きました。駅でクアラルンプール行きの夜行列車の切符を買うと、昼食をとるため近くの食堂に入りました。料理を注文すると、40代のマレー人の男性が話しかけてきました。彼は子供の頃に体験したことを話し、日本人は勇敢だ、礼儀正しいと言って非常に親日的でした。食後、若い中国系の男性とインド系の女性が近くの市場に私を案内し、サテ(マレーシア風焼鳥)を御馳走になりました。その2人は私を駅まで連れていってくれて、私が列車に乗るのを見送ってくれました。私は一遍でマレーシアが好きになりました。旅の途中で巡り合った親切なマレーシアの人々に感謝です。ありがとう、素晴らしい旅になりました。
愛知県 70才 男性
主人へ
健康だけが取り柄で会社員としてバリバリ働いていた私が突然癌になってしまいました。大腸癌ステージ3bかなり進行していて先生からは手術が成功しても一生人工肛門を装着する事になりますと告げられショックで言葉を失いました。なんで!と言う言葉と涙しか出てきませんでした。手術後1ヶ月に及ぶ入院。そして退院後も自宅でほぼベッドの上での療養、1年。その間文句も愚痴も言わず、時にうまく動かない身体にいら立つ私を優しく労り包んで見守ってくれてありがとう。あなたの優しさがあったから私は少しずつ回復しました。少しずつ歩けるようになり、少しずつ家事をこなせるようになり今があります、本当にありがとう。これからも宜しくお願いします。
静岡県 52才 女性
いつもの日常へ
私がありがとうを贈りたいのは、いつもの日常です。なぜこう思うかというと、コロナウイルスの影響によって日常が変わってしまったからです。例えば、あまり外に出かけられない、マスクを着けなければいけない、手洗い・消毒をしっかりしなければいけない、などです。でも、これらの不便な日常があったからこそ、いつもの日常が当たり前ではなかったということに気付けました。そして、それと同時に感謝することができました。だから、私は、いつもの当たり前だと思っていた日常に「ありがとう」を贈りたいです。
愛知県 11才 女子
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