ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2020-2021

絆創造業 平安閣グループ

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亡くなった主人へ
「ありがとう」。私は、この言葉が大好きです。18年前に亡くなった主人のお墓に「ありがとう」と刻みました。花を持って、会いに行くと、まずはお互いに「ありがとう」。「待っていてくれた」と私が言い、「待っていたよ」と主人が喜んでいるように感じます。「私も、すぐ、そばに行きますよ」と手を合わせると、線香の香りが空に立ち昇っていきます。横にいる娘夫婦を見ると、淋しいような、安堵した気分になり、とても落ち着きます。「ありがとう」。その時まで、元気で頑張ります。
愛知県 90才 女性
娘へ
自慢の娘へ。病と向き合う人に、患者に寄り添い看護している自慢の娘へありがとうの5文字を贈ります。新型コロナウイルスという未知の感染症の最前線で、働く、あなたの勇気、気迫に親としてではなく、人として尊敬しています。親としては、無理しないようにと心配するだけですよ。回復した患者さんから「ありがとう」の言葉を聞き、満面の笑顔で喜んで話す娘に、父、母から「いつもありがとう。ご苦労様。」の言葉を贈ります。
愛知県 59才 男性
全国の献血に協力してくださった方々へ
私は臨床検査技師として輸血業務を行っております。最近は新型コロナウイルスの影響もあり、献血に行く方が減っていると伺っています。しかし、そのなかでも積極的に献血に参加してくださる方がいるおかげで、医療の現場で本当に血液を必要としている方に届けることができます。血液を提供する側、提供される側、双方とも顔と名前がわからないと思いますが、人と人との温かい繋がりがあると思います。その繋がりを作っている全国の献血協力者に、輸血検査を行い、臨床の現場にお届けする臨床検査技師としてお礼を言いたいと思います…「心よりありがとう!」。
茨城県 29才 男性
お母さんへ
お母さん、いつもありがとう。お母さんには数えきれないぐらいの「ありがとう」と伝えなければいけないことがあります。まずは生んでくれたこと。子供の私でも出産するのが大変でいたくてつらいことが分かります。大きくなりお母さん達にはんこうするようになり、育てるのが大変になったと思います。家族が多いのにもかかわらず、お手伝いをしなかったこと、いつもおこっていたね。でも、もう6年生。勉強もできるし、自分のことは自分でできるようになったんだよ。自分の過去をふり返ると、時間って過ぎていくのがはやく感じます。めいわくたくさんかけると思うけど、これからもよろしくね。
愛知県 12才 女子
元職場の同僚へ
私は弱虫だ。目の前に困難が見え隠れすると、見えないフリをして逃げる。その人は職場の同僚であったが、そんな弱虫な私を、山歩きに誘ってくれた。山歩きなんて大の苦手な私はすぐ断った。しかし、「山は気持ちいいよ」という言葉に行くことになった。想像していた通り、山歩きはきつく、もう帰りたいと弱音をはいた。するとその人はこう言った。「1歩足を前に出せば、1歩分体は前に出るよ。ゆっくりでいい。動かしてごらん」。私の牛の歩みに付き合ってくれたその人と頂上に着いた時、達成感に満ち溢れた。辛い時、もうだめだと思う時、あの一言を思い出す。「1歩踏み出して」。ありがとうSさん。
愛知県 68才 女性
妻へ
私たち夫婦は知り合って半世紀余り。今春には47回目の結婚記念日を迎えました。2人の息子夫婦たちと、コロナ禍で大変な時を経ての高校生となった孫娘を始め、中学生、小学生、幼稚園児の4人の孫たちの成長を、目を細め家族の幸せを願っている。47年間妻の献身的な振る舞い、努力、思いやりのなかに自身を置いたとき、 ありがとう と自然に感謝を表している。そんな私たち夫婦の背中を、子や孫たちが見ていてくれるならどんなに嬉しいことか。妻には歌手のさだまさしさんの歌「関白宣言」での歌詞の中から、「オレより先に死んではいけない」。世話を掛けた分、「ありがとう」と言いたいから。必ず言うから―。
愛知県 73才 男性
卓球部顧問の先生へ
「自分を信じて、やればできる。」と先生はいつもはげましてくれました。部活の時はすごくきびしいけれど、私がくじけたり何かにチャレンジしようとすると先生はいつもはげましてくれました。私は「自分を信じて、やればできる。」その言葉を聞くと自然とがんばろうと思えます。だれにでもきびしい先生だけど、本当はすごく優しい先生。ありがとうじゃ伝えきれないほど、ありがとう。そして私達が卓球部を引退しないといけなくなる時まで、私達をきびしく時には優しく育ててください。
愛知県 11才 女子
全ての当たり前へ
コロナでやむなく自宅待機になった時、まだ入社してから1年も経っておらず、これから更に力になろうとした矢先に自宅待機を言い渡された途端、頭が真っ白になるかと思うくらいショックでした。2ヵ月半、自宅待機している時、仕事ができる喜びと有難さが心にしみました。自宅待機から明けると何だか入社したばかりのような初心に戻ったようでした。当たり前に美味しい食事が食べれる、当たり前に仕事があってやれる事、当たり前に生活できる事、全ての当たり前に心を込めてありがとう。
愛知県 25才 男性
お母さんへ
あの日私はとてもいやになった。なにもかもが・・・なぜならリレーがあったからだった。私は生まれつき足が悪くうまく歩けず走るのもおそかった。そんな私にとって、リレーは最悪なことでした。それで何度かいやな思いをしたことがあったからです。なんとか走りきったけどやっぱり、一番最後だった。そうしたらお母さんが「一番最後でもいい。ただいっしょうけんめい走っていることが相手に伝われば、それで十分」と言ってはげましてくれました。それから、まだ走るのは好きじゃないけどがんばって走ればそれでいい。そう思ってやると、一番最後でもいやな気持ちにはなりません。ただいっしょうけんめい走ってるだけだからです。
愛知県 11才 女子
主人へ
私の旦那様は鉄道マンです。新型コロナウイルスによる外出自粛やイベントの中止、在宅勤務のあおりで電車を利用する方はすっかり減ってしまいました。乗車する方がたとえ少人数でも、鉄道マンの方々は日々安全運転を心がけてくださっています。医療関係者やスーパーで働いている方ほどメディアで取り上げられることもなく、目に見えて感謝されることもないでしょう。それでもモチベーションを下げることなく働いてくれています。毎日不平不満も言わずに働いてくれています。本当にすごいと感心しています。そして私は心から"ありがとう"と伝えたいです。
愛知県 46才 女性
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