- 家族・親族へ
- 大正時代に生まれたおばあちゃん。昭和・平成・令和と激動の時代を生き抜いてきたよね。心底、尊敬します。戦争中、満州へ渡ったおばあちゃん。おばあちゃんの心が少しでも折れて、あきらめていたら、今、私は存在しません。あきらめないで生き抜いてくれてありがとう。笑顔がステキだったおばあちゃん。生まれてから今までかわいがってくれてありがとう。最期までお世話させてくれてありがとう。おばあちゃんの温もりは一生忘れないよ。
- 愛知県 45才 女性
- こども園の先生たちへ
- 子供を園に入れるまでは保育士さんはたくさんの子供に囲まれて楽しそうな仕事だなぁと思っていました。しかし、実際に送り迎えにいく度に全力で子供たちと接している姿、どの先生でも全員の子供の名前を覚えていること、自分の子供の今日一日の様子など丁寧に教えてくださること、本当にすごいことだと感じています。人と接する仕事をしていますが、人の面倒を見る職業は尊いと実感します。保育士さんの大変さが今なら少し分かったと言えます。コロナの影響があるなかでも、子供を預けざるを得ない親もいて、常に危険と隣り合わせで仕事をされていることに感謝しています。子供2人ともまだまだたくさんの時間お世話になります。これからも仕事を誇りに思って頑張ってください!
- 愛知県 36才 男性
- 父親へ
- どうして生きている間に「ありがとう」と沢山言えなかったのだろう。父が亡くなってから思う事が増えた。子供には普段から「ありがとう」は忘れずに言いなさい、と言っている私。「ありがとう」は言う側、言われる側も気分が良いものだ。なのに、最後の最後に言えてなかった。「頑張って」「ご飯食べて」必死に病気と闘う父に言い続けてしまった。もっと「ありがとう」をいっぱい伝えてあげれば良かったと思っている。今更父に「ありがとう」を贈ってもと思ったが、仏壇の前で毎日「ありがとう」を言う度に心が落ち着く。大切な人に贈る「ありがとう」は自分にも返ってくるのだ。「お父さんいつもありがとう」と感謝を贈りたい。
- 愛知県 50才 女性
- 医療従事者へ
- いつも命を懸けて働いてくれて、ありがとう。いつも全員の人の命を救ってくれてありがとう。医療従事者ってすごいなぁ。医療従事者がいなければ、どんなことになるのだろう。多分、とてつもなくたくさんの人の命が失われると思う。このことをなくすには、命を懸けてまでしないと治せないことがある。そのことを当たり前のように、皆の命を治してくれることに感謝しかない。今の苦しい現状でも、医療の最前線で多くの人の命を助けてくれる。医療従事者の心の中にある「勇気」は本当にすごいと思った。いつも命を救ってくれてありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。
- 愛知県 12才 男子
- お母さんへ
- お母さん。産んでくれてありがとう。色んなことを教えてくれてありがとう。お母さんの顔を見ると悩んでることとか飛んで安心するよ。近くのスーパーもお母さんと一緒に行くと楽しいよ。沢山のありがとうと少しのごめんね。もうこんなに伝えたいことがいっぱいあるけど、届いていますか?5月15日お母さんは旅立ちました。34年間しかお母さんの子供としていられなかったのが悲しいな。もっと「お母さん」と呼んで過ごしたかったな。私も2人の子供を立派に育てるね。そして子供からたくさんのありがとうを貰えるように頑張るね。お母さん、心からありがとう。
- 茨城県 34才 女性
- お父さんへ
- わたしのお父さんは、仕事が忙しくほとんど家にいません。休日は、つかれているのにもかかわらず、朝早くから遊んでくれたり勉強を教えてくれたりもします。それにもかかわらずわたしは、自分がつかれているとお父さんに対して冷たくあたったりしています。本当はお父さんにありがとうの気持ちを伝えたいけれど、はずかしくてなかなか言えません。しかし、ある日妹がお父さんに「ありがとう」と言っているのを聞きました。その時のお父さんの顔はとてもうれしそうな顔をしていました。たったひと言のありがとうという言葉であんなに笑顔にさせることができるなんて、わたしは少しおどろきました。今からでもお父さんにありがとうと伝えたいです。
- 愛知県 11才 女子
- 高3の娘へ
- 緊急事態宣言がでて、どこのゴミ置き場もゴミの量が増えました。その日は燃えるゴミの日。ふと外を見ると、少し遠くのゴミ置き場のゴミが溢れ返り、カラスが荒らしていました。私は自分のゴミ置き場じゃないしと見て見ぬふりをしました。しかし、2階の窓から見ていた娘は大きなゴミ袋を持って、小雨の中、走って行きました。私も後を追い、一緒にゴミをかき集めて、きれいになったね。と言いました。娘はゴミ収集のおじさんの手間が少し減ったかな。と言いました。娘に計算なしのやさしさを教えてもらいました。
- 埼玉県 44才 女性
- 母へ
- 8歳から学校に行かなくなってしまった私。理由は結局よくわからなかった。何がしたくて、何がしたくなかったのかもわからない。とにかく学校には行きたくなかった。そんな私に母ちゃんは言った。「行きたくなったら行きや」その言葉にどんなに救われたことか。結局、学校に行き始めるまでの10年間。母ちゃんと勉強したり買い物したり、喧嘩したり。それでも色んなことを学んだ。友達がいなくても、教科書がなくても、自分のいる場所が学びの場だと思えた。ありがとう。母ちゃん。
- 埼玉県 19才 女性
- そこのあなたへ
- いつも私を気遣ってくれて、優しく接してくれた人。私が悩んでいる時にも、いつも前向きな言葉で励ましてくれた同級生。コンビニで100円玉を落とした時に手伝ってくれたトラックの運転手さん。私が言葉遣いを荒くしても許してくれる幼馴染。中学校で3年間お世話になった恩師。受験の時にお世話になった隣の席の子(話しかけてくれて緊張がほぐれた)。高校3年間目標として追わせてくれた人。一人暮らしを許してくれた両親。話し相手になってくれた妹。面倒見てくれた伯母さん。私の良くない話が出ても私のことを信じてくれた人。電車で会ったら話しかけてくれる後輩。私のこと可愛がってくれた先輩。保育園で実習時に話しかけてくれた女の子。これを企画してくれた平安閣の方々。運んでくれる郵便局の方。本当にありがとうございます。
- 愛知県 18才 女性
- 恩師へ
- 先生、今でも大事に持ってるよ。小3の頃、先生は、毎日学級通信を出してくれましたね。クラスメイトの日記や、日々の出来事を、毎日手書きで載せてくれたことは、当時の私にとって毎日の楽しみでした。毎日残しておいたものを、先生が製本してくれた時には、1年間の思い出の本ができたようでした。あれから20年以上も大事にしてきた学級通信。今も私の宝物です。先生が作ってくださった学級通信が、私の将来の夢につながりました。先生、本当にありがとうございました。私も先生に負けないくらい、学級通信を発行し続けます。先生みたいな教師になれるよう、頑張るから、見ていてくださいね。
- 滋賀県 31才 女性