ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2020-2021

絆創造業 平安閣グループ

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中学1年生のときのクラスの子へ
僕が入院した時に、僕は心がとても不安になってしまい、心がこわれそうになりました。そんな僕にある日担任の先生が僕の様子を見にきました。その時にもらったのは、みんなからのたくさんのメッセージでした。こんなに僕のことを心配してくれているなんてとてもびっくりしました。入院最後の日、とても痛い検査がありました。その時はどうしてもどうしてもこわくて泣きそうになりました。そんな時みんなのメッセージを見て勇気がでてきて、がんばろうという気持ちになりました。そして退院して学校に行ったら、みんながとても心配してくれました。その時ははずかしくて言えなかったけど、今なら言えます。本当にありがとう。
愛知県 12才 男子
同居しているお義母さんへ
いつも笑顔で活発で明るいお義母さん、一緒に住んでくれてありがとう。今年の4月に2人目が産まれるのをきっかけに主人の実家に同居することになりました。正直最初は同居するのが不安でなりませんでした。夫婦と言えど元は他人で時間と子供が家族としてまとまりを持たせてくれたところへ、更に新しくお義父さんとお義母さんと一緒に暮らして仲良くやっていけるのか心配でした。それを知ってか知らずか、同居をはじめるとお義母さんはどんどん距離をつめてきます。子持ちは寝れる時に寝ときなと子供を見てくれたり、ご飯多めに作っちゃったから作らなくて良いよと言ってくれたり、赤ちゃん見てるから今のうちにお風呂に入っちゃいなと言ってくれたり、強引だけれど善意で溢れているのが伝わってくるので私もどんどん甘えてしまいます。お義母さんの、その裏表のない真っ直ぐな優しさが、時間をかけるよりも早く私を家族にしてくれます。おかあさん、いつもありがとうございます。今度一緒に家族旅行にでも行きましょう。
千葉県 30才 女性
医療関係のみな様へ
新型コロナウイルス感染症が拡大しています。重症化するとICUに入り最悪、死に繋がります。私も2年前に藤田医大病院に入院しICUで治療を受けました。幸い1週間程で一般病棟へ移り、今は退院し健康な生活を送っています。その時は日々昼夜を問わず、治療看護してくださいました医療スタッフの方々、本当にお世話になりありがとうございました。現在も大変な日々が続くと思いますが、地域のいや日本の医療のため、引き続き頑張ってください。あらためて心から「ありがとう」の言葉を贈らせていただきます。
愛知県 69才 男性
中学の頃の担任の先生へ
“No pain no gain”これは先生が私の卒業アルバムに書いてくれた言葉です。書いてくれた時はよく意味がわかりませんでした。私は先生に出会うまで何もかも平均以下で特技もない自分のことが苦手でした。でも先生はそんな私の粘り強さ、優しさ、表現力をたくさん褒めて信じてくれました。英語が分からない私のために夏休みに個別で教えてくれました。先生のおかげで英語が好きになりました。国際科のある高校に進学した私はみんなの英語力に追いつけず悔しい思いをたくさんしました。でも、「何事も一つ一つ粘り強く向き合うあなたなら大丈夫」と言ってくれた先生の言葉を胸に人一倍努力したら卒業する頃には先生も信じられないぐらい力が伸びました。痛み無くして得るものはない あの時の先生の言葉今はよく分かります。高校を卒業して今は英語の話せる看護師になるために頑張っています。上手くいかない時も「よく頑張ってるね。あなたなら大丈夫」と先生にまたいつか言ってもらいたいから頑張れてます。先生に出会えたおかげで自分のことを好きになれました。先生が私の人生を変えてくれました。本当にありがとうございます。
愛知県 20才 女性
お母さんへ
中学生の頃、私はほくろが多いせいで自分の顔が大嫌いになり鏡を見てよく泣いていました。そんなある日、母が突然「私は今のあなたが大好きだけど、ほくろを取った方が前向きに生きられるならこれを使いなさい。」と10万円の入った封筒をくれました。私の苦しみに気づいてくれたこと、内緒でこのために貯金してくれたこと、今の私の姿も受け入れてくれたこと、嬉しさと感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。私はあえて一番目立つほくろを残してそれ以外を取りました。今ではそのほくろがチャームポイントです。お母さん、どんな時も私の味方でいてくれて本当にありがとう。お母さんのおかげで自分を好きになれたよ。母のような人の気持ちに寄り添える心理士になるのが私の夢です。
富山県 18才 女性
とても親切なお姉さんへ
いまから約8年前、ある病気で入院していた。できることは限られていて、たいくつな日々だった。そんなとある日、向かいの個室の女の子が点てきをカラカラと引きながら私の方に来た。小学5~6年くらいの女の子だ。右手にねずみのパペットを持って、動かしながら、「こんにちは。元気ですか?」と話しかけてくれた。その時はお母さんがいなくて、少しさみしかったから、とてもうれしかった。入院中の私の話を聞いてくれて、話し終わったときとてもいい気持ちだった。その夜お母さんといっしょにお礼に行った。それから数日して、その子は、退院した。たくさん話を聞いてくれたから、もっとお礼を言えばよかった。その子がこれを見てくれますように。
愛知県 12才 女子
父親へ
父親が違うと知った小学4年生の頃から大学1年生の今までなにも口を利きませんでした。でも大事な時には、いつも影で協力してくれていたのを知っていたし私が小学1年生の頃からの夢を叶えるべく保育士になりたいと言った時には高額な学費に文句も言わず払ってくれました。そんな恩があるにもかかわらず夜の仕事を始めたと同時に長年の夢だった保育士を諦め学校を退学した去年の冬。お前がやりたいことがあるなら今はそれを精一杯やりなさい。学費のことは気にするんじゃないよ。生きたいように生きろと言ってくれました。反抗期もあり、長年口を利かないことが続き今更なんて話していいのかもわからないからこういうのを機会として、父親にありがとうを伝えたい。親不孝だと思って自分を責め続けたけど生きていて笑ってくれていることが親の幸せという言葉に支えられ今の私があります。今までの19年間、たくさんありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。
東京都 19才 女性
出産以外で入院もなく95歳でなくなった母へ
小さい時からアンタは絶対幸せになるよ、たくさんの運を持ってるから周りの人も幸せにできるよ。口のホクロは食べるのに困らない印だよ。それが母の口癖です。確かにギリギリの選択で助かった事も数えられない位沢山あり嫁ぎ先はお米を扱う会社で農家さんともつながりがあり助かっています。アンタのおかげで私もいい人生だよ。アンタの幸せが私の幸せだよ。家族や周りを大切にすればみんなが幸せになるよってずっと呪文をかけてくれてありがとう。魔法にかかったように幸せです。
愛知県 59才 女性
主人へ
結婚して4年。何事もなく花婚式を迎えた私たち夫婦。子供にも恵まれ、平凡に幸せな日々を過ごしているが…ふと思い出すと主人からの「ありがとう」を聞いた記憶がない。しかし、私は知っている。「ありがとう」の代わりにケーキを買ってくる。「ありがとう」の代わりに食器を洗う。「ありがとう」の代わりに子供の遊び相手になる。直接言葉に出すのが苦手な主人の「ありがとう」の気持ち。全部解ってるよ。ありがとう。これからもよろしくね。
大阪府 32才 女性     
素敵な看護師さんへ
私のありがとう。それは、私がまだ小さかった頃、お世話になった看護師さんに贈りたい言葉です。小さい私は、入院して手術をすることになり、とても怖くて不安でたまりませんでした。そんなとき、優しく声をかけて一緒にいてくれたのが私と同じ名前の看護師さんでした。今でもはっきりと覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです。私は、看護師さんに出会い夢と目標を持つことができました。私の将来の夢は看護師になること。そして、目標は看護師を目指してがんばることです。お世話になった看護師さんに心からたくさんのありがとうを伝えたいと思います。「ありがとう」
愛知県 11才 女子
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