ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2018

絆創造業 平安閣グループ

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偶然出会ったコンビニのお兄さんへ
僕は塾に通っていて、いつも疲れるので嫌でした。そんなある日、「また塾か~」と心の中でつぶやきながらエレベーターを待っていました。そして「もうすぐだ〜」とがっかりしながらエレベーターに入りました。そして行き先ボタンを押してエレベーターの扉を閉めようとしたら人影が見えたので、開けていたらお兄さんが走ってエレベーターに入ってきました。その人は、僕に「ありがとうございます。」と言ってくれました。さらに降りるときに開くボタンを押したら僕の目を見て「ありがとう。」と言ってくれました。僕はうれしかったので、その日の勉強がいつもよりはかどりました。そしてありがとうの大切さを伝えてくれました。心のそこから言いたいです。本当に本当にありがとうございました。
愛知県 12才 男子
娘へ
卒業おめでとう。高校の3年間はとても愛おしい日々だったね。あなたが卒業生答辞で言ってくれた言葉。思わずこらえていた涙があふれ出しました。「もう一人感謝を伝えたい人がいます。それは母です。」と震える声で伝えてくれました。お父さんはあなたが小学一年生の時から海外赴任で、私は兄達の送り迎えやらで、なかなかかまってあげられず、放りっぱなしでさみしい思いをさせてしまったと、どこか申し訳ない気持ちをずっと胸にいだいていました。あなたの答辞の言葉を聞いて「ちゃんとみていてくれたんだ、わかっていてくれたんだ」と涙があふれました。あなたが、いつも明るく健康でいてくれたからこそ、お母さんはやってこれたんだよ。こちらこそ、ありがとう。何があってもお母さんはあなたの一番の味方です。大切な言葉をありがとう。
愛知県 50才 女性
荷物を届けてくれた彼らへ
子育て2年目、24時間臨戦態勢だった頃。電車で出掛けなければならず、周りの目を気にして「泣いたらすぐに降りなきゃ」と私は緊張していました。後少しで目的の駅というところで、泣き叫び始めた娘…。とにかく降りなければと慌てて飛び出したところで、荷物を車内に置き忘れたことに気が付きました。ホームで泣き叫ぶ娘の前で途方に暮れて佇む私。そこへ、反対方面の電車から下車した、若い男性二人が近づいてきました。その手には、私の忘れた荷物が…。気が付いて引き返してきてくれた気持ちに、車内でもきっと私達を見守ってくれていただろうと、涙が溢れて止まりませんでした。未熟な母親に優しく差し伸べられた手は、今も心の支えです。世界はそう悲観するものじゃない、心遣いは伝わり合い広がってゆく。そんなことを娘にも教えたい。あの日荷物を届けてくれた彼らに、子どもを見守る全ての社会の方に、本当にありがとう。
千葉県 32才 女性
お母さんへ
小学生ぐらいからいつもよく思っていたけれど、私はお母さんの子供で良かったなぁと思います。私とは違いとてもおしゃべりで、年齢を問わず誰とでも楽しく話して、私は横で聞いていて楽しくもあり、誰に対しても、その人の良い所やすごい所を上手に褒めている「褒め上手」なお母さんに感心していました。いろいろな場面で、お母さんは私をフォローしているつもりは無いのかもしれないけれど、私はお母さんの性格や言葉に助けられることが多く、お母さんの子供でとても生きやすかったと、昔も今も思います。また「孫に何かしてあげたい」という純粋な気持ちが強い所も、時には不思議に思う程ですが、たくさんのあたたかい気持ちをいつもありがとう。
愛知県 46才 女性
弟へ
生まれてきてくれてありがとう。ぼくの手をぎゅっとにぎってくれてありがとう。気づけば一年生。大きなランドセルを背おって、元気よく歩くすがたは、まるで小さいころのぼくにそっくりだね。ぼくが家にかえると「今日はこのゲームしよ。」という。ぼくが、イライラしてきついことばをいったときもあったけど「大好き。」といってくれる。ぼくは、そんなきみが大好きです。いつまでも元気でいてね。
愛知県 12才 男子
祖母へ
大好きなおばあちゃん、私を愛してくれてありがとう。母子家庭で育った私。働いて忙しくしている母。困った時に私たち親子を助けてくれたおばあちゃん。病気で学校を休んだ時は、いつも他県から看病にきてくれた。元気になった私は、学校に行っている間に帰られるのが嫌で、いつもおばあちゃんのカバンを隠して登校した。それでもおばあちゃんは帰って行くんだけど、必ず手紙とお小遣いを置いていってくれた。おばあちゃんが大好きで、すっかりおばあちゃんっ子になった私は、今、老人福祉の仕事についています。死んだおばあちゃんと重ねているのかな。おばあちゃんありがとう。おばあちゃんが死んでしまい、悲しくて泣いてる私の夢に出てきてくれてありがとう。今もその夢を思い出したらいつも泣いてしまうけど、いつか私もそちらに行くので、待っていてね。
大阪府 41才 女性
元職場の後輩へ
人間関係や仕事の激務、色々なストレスが溜まり仕事が楽しいと思えなくなっていた日々。高校を中退してバイトとして入っていた後輩が沢山の失敗や上司からの注意の毎日の中、一生懸命働く姿に支えられていました。ある日、その子がまた失敗して落ち込んでるかなぁと話しかけた時「私もっと役に立ちたいんです。」と言った言葉が純粋に胸を打ちました。私は最近誰かの為に働きたいと思えていたのだろうかと。結局私は転職をしましたが、辞めると伝えた時、本気で泣いてくれた後輩に私も涙が出ました。そして、改めて人との関わり方、仕事をする姿勢を見直す事ができました。ありがとう、本当にありがとう。今でもこれからも忘れられない出逢いと思い出です。
山口県 35才 女性
財布を拾ってくださった方へ
めったに出掛けたことのない息子が、財布を落としました。夫と一緒でしたので、帰りも困ることはありませんが、たぶん、混雑した地下街のトイレだろうと慌てて探したそうです。軽度の障がいがある30代の息子には初めての「世間」です。数日後、警察から財布が届いていると連絡をいただきました。やはりトイレで拾い、わざわざ交番まで届けて、お礼も不要と言われたそうです。落ち込んでいる息子に伝えると、ありがとう、ありがとうと見たこともない笑顔の絵文字と「ああよかった安心した」と返事が来ました。精一杯の感謝と安堵の気持ちでしょう。本当にありがとうございました。この、ありがとうに、あなた様が気付いてくださいますように。
愛知県 66才 女性
お母さんへ
お母さんは、せんたくも、お皿洗いも、ごはんも作ってくれているよね。ぼくは吃音という言葉がうまく出ない病気です。そのせいで学校の発表などで、言葉がつまることがあります。そしてみんなが笑ってくることがありました。そして、家に帰ると泣くことがありました。そんな時は「気にすることないよ。それも君の個性だから。」となぐさめてくれます。吃音のことでキレたりして困らせているのに、やさしくしてくれるお母さんは、宇宙一のお母さんです。今まで言えなかった分まで、ありがとう。
愛知県 11才 男子
じいじへ
小さいころ、私はじいじが怖かったのです。「箸をちゃんと使えんやつはめしを食うな。」「米は一粒も残すな。」「親に感謝しなあかん。」いつもいつも、じいじはぶっきらぼうな言い方。じいじの言葉の本当の意味が分かったのは大人になってからでした。礼儀作法の大切さ、兼業農家のうちにとってお米はどんなに大切かということ、そして親や祖父母やご先祖様へ感謝する心。本当に大切なことを、じいじは幼い私にも真剣に教えてくれていたのです。昨年、祖父は他界しました。亡くなるその日の朝、虫の知らせで病院を訪ねていた私と母。私との最後の会話のその瞬間まで、じいじはじいじのままでしたね。弱音を吐かず、いつもの強そうなじいじでしたね。じいじ、幼いころからたくさんの言葉をくれてありがとうございました。時には怖かったり、反発したくなったりしたけれど、じいじが教えてくれたことは今の私の人生においての指標になっています。天国から、変わらず見守ってくださいね。
大阪府 28才 女性
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