ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2018

絆創造業 平安閣グループ

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歯医者さんのおばちゃんへ
私は小さいころからお世話になっている近所の方がいます。私はその方のことをずっと「歯医者さんのおばちゃん」と呼んでいます。今回、私はそのおばちゃんに「ありがとう」を伝えたいです。私は使用済み切手を集めておいて、それを慈善団体に寄付しているのですが、その活動にさそってくれたのがおばちゃんなのです。使用済み切手は切手収集家が買い取ってくれ、そのお金が海外の困っている人に役立っています。小さなことですが顔も知らない誰かの役に立っているのかと思うと、とてもうれしいです。そんなきっかけをあたえてくれたおばちゃんに感謝しています。おばちゃんは私の祖母と同じ77才。二人ともいつまでも元気でいてほしいです。
愛知県 12才 女子
母へ
私はもうすぐ結婚します。母は私とは遠く離れた所で家族と暮らしています。私がまだ小さいころ離婚し、女手ひとつで私たち兄弟4人を育ててくれました。母がどれほど大変だったか私にはまだ分かりません。けど母は文句を何ひとつ言わず弱音も吐きませんでした。中学生のころ私は夜遊びもしていたし迷惑や心配ばかりかけてました。私は「心配しないでいいよ。」「ちゃんと帰るから。」なんて言って約束もろくに守っていなかったですね。中学生、高校生では受験、就職もあり、母とたくさんケンカや言い合いをしました。私は兄弟の中でも一番母を困らせたと思います。ごめんなさい。私はまだ19才で成人式もまだです。けど私が愛知県に引っ越すのも、結婚するのも、何も言わず笑って受け入れてくれましたね。「二人を信じてるからね。」と言ってくれた言葉、ずっと大切にします。二人で幸せになります!私のたった一人のお母さん大好きです!二人を許してくれて、ありがとう。
愛知県 19才 女性
病に負けない父親へ
40年勤め上げた企業を退職後、タクシー運転手としてバリバリ働き続けていた新しい人生の真っ只中。突然に脳梗塞で半身まひとなり人生が一変。これまでに数えきれないほどの意識不明、肺炎などに見舞われたけれど必ず持ち直してくれてありがとう。その後、認知症を発症するも面会に行くたびにニコニコ喜んで笑顔で迎えてくれてありがとう。色々と忘れちゃっても私のことを覚えてくれていてありがとう。言語障がいなのに子供時代や独身時代の話を何度も何度もたくさんしてくれてありがとう。帰る時は「気をつけて帰れよ。」と声をかけてくれてありがとう。今もあの頃の病気知らずの優しいお父さんでいてくれてありがとう。心から本当に本当にありがとう。
静岡県 53才 女性
駐輪場のおじいちゃん達へ
私が高校生だった頃、毎日利用していた駅の駐輪場。その駐輪場でシルバー人材センターのおじいちゃん達が、毎朝大量の自転車の整理や誘導をしてくれています。毎日利用しているうちに、おじいちゃん達とは顔なじみになり「おはよう。」「おかえり。」「今日も頑張ってね。」など言葉を掛けてくれるようになりました。冬至の日には自転車の籠に柚子が入っていた時も。そんな駐輪場も高校卒業後は利用しなくなりましたが、今でもきっとたくさんの利用者を朝から温かい気持ちにしてくれるおじいちゃん達。きちんと伝えられなかったけど毎日ありがとう。
千葉県 20才 女性
じいちゃんへ
ありがとう。じいちゃんは、いつでも私に優しくしてくれる。いや、みんなに優しくしてくれる。そんな、優しい優しい、じいちゃん。この前、私がじいちゃんの家に行って、だしまきたまごを作った。いつもよりびしゃびしゃだったけど、焼いたらふっくら出来た。「うまいなあ。すごい。」と笑顔でほめてくれた。他にも、じいちゃんはおもしろい。よく笑う。素直。すぐ友達を作る…。たくさんありすぎて、よく分からない。私が伝えたいことはただひとつ。「ありがとう」。ひとり暮らしになって1年。毎日、手づくりのおいしそうなごはんを食べている、とてもがんばり屋さんに。
愛知県 11才 女子
妻へ
退職までの36年間に16回の転勤で、北海道から鹿児島まで全国津々浦々巡ったけれど、君はいつも「今度行く所はあれが楽しみ。」行ってみたら「あそこが素晴らしい。」と嫌な顔ひとつせず付いて来てくれたよね。実際には不安や不満も多々あったのだろうけれど。お陰で僕も、一緒に行った先々の名所旧跡や名産品を楽しみながら仕事に没頭出来ました。これまでの君の気遣いに感謝して、ありがとう。
鹿児島県 64才 男性
友達へ
29才まであと2ヶ月だった頃、乳がんになった。たくさんの友達がまるで家族のように心配してくれ、そばにいてくれた。泣きながらの電話に何度も付き合ってくれた。「治療に疲れたら遊びにおいで。一緒に美味しいもの食べよう。頑張りすぎたらダメだよ。」と言ってくれた。病気になった私なんて…と心がささくれていたが、そんな私をみんなこれまでと全く変わらない友情で温かく包んでくれた。治療がすべて終わったときも自分のことのように喜んでくれた。ずっと変わらず友達でいてくれて本当にありがとう。みんながそばに居てくれたから頑張れた!今、元気に笑顔でいられるのは、友達みんなのおかげ。本当にありがとう。
熊本県 35才 女性
施設の利用者さんへ
Jさんと出会ったのは、今の職場の施設です。病と戦いながら、懸命に生きる姿を毎日見ていました。父親と同じ歳のJさんに、私はどこか父親と重ねていたのかもしれません。毎日苦痛な処置、痛そうに耐える姿がとても辛かった。頑張って、なんて言えなかった。「頑張ってくれてありがとうございます。」そう言葉をかけるのが精一杯でした。突然のお別れに、私はしばらく立ち直ることが出来ませんでしたが、Jさんの懸命に生きる姿を、私は絶対に忘れません。たまに見せてくれた穏やかな笑顔、大好きでした。私に生きる力を教えてくれたJさんに、心からありがとうを伝えたいです。
大阪府 34才 女性
お母さんへ
お母さんにありがとうをとどけるために一日密着してみたよ。朝、おきたらおいしそうなごはんありがとう。昼、がんばってお仕事おつかれさん。私達のためにはたらいてくれてありがとう。夜、仕事つかれたのに、休まずごはんづくり。お母さんのつくるごはんは、だれのよりもおいしい。ありがとう。朝も昼も夜もずっと家事でいそがしいよね。なのに、家事やってくれてありがとう。一日密着してみると、感謝するとこ多いみたい。いつもいつもありがとう。わたしのお母さんでいてくれてありがとう。わたしはお母さんの子供でしあわせだな、ありがとう。
愛知県 11才 女子
妻へ
仕事が上手くいかず転職を重ね、気持ちが滅入っていたとき、あなたの言葉に救われました。「まずは今の仕事を思いっきりやってみる。駄目だったらその時考えればいい。仕事に夢が持てないなら、家族に夢を持てばいい。」この言葉で心に光が射した様な気持ちになりました。あなたのお陰で、今は公私共に目標を持って生活できています。来年で結婚10周年。いつも支えてくれてありがとう。
福島県 33才 男性
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