ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2018

絆創造業 平安閣グループ

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お母さんへ
高校生の頃、学校が嫌になり自然と学校を休むようになりました。そんな時、母は何も言わず、ただ家にいる私を気にかけてくれるだけでした。しかし、1週間が過ぎようとした時、初めて「行きたくないなら行かなくていいけど、本当にずっとこのままでいいの?これ以上休むと、本当は行きたくても行けなくなるよ。」と言われました。ハッとしました。その言葉を勇気に変え、1週間ぶりに学校に行きました。その後も母の言葉を支えに学校へ通いました。大人になった今でも仲の良い大事な友達はその時に知り合った人です。かけがえのない時間を無駄にしないよう、背中を押してくれた母に心からありがとう。
鳥取県 28才 女性
おばあちゃんへ
ぼくは、おばあちゃんに、なかなか「ありがとう」って言えません。だからぼくは考えました。どうしたら、「ありがとう」って言えるんだろう。ぼくは、3日間どういう時に「ありがとう」って言えるんだろうと考えました。まずは、町や買い物へ行く時、知らない人が知らない人に「ありがとう」って言ってるのを、メモ帳に書きました。そしたら100個ぐらいの「ありがとう」が書けました。ぼくは、それをアイテムにして「ありがとう」がめちゃくちゃ言えるようになりました。今でもメモ帳を見て「ありがとう」って言ってます。
愛知県 11才 男子
息子へ
くも膜下出血で突然倒れた主人を前に、ただただ泣いていた私。急なことで何も考えられずにいた1年前。なんとか手術が終わり、主治医の先生から聞かされた「成功しても2週間以内に半数の方が亡くなられます。」の言葉。ぼう然としながら涙を流す私に、受験をひかえた息子が言ってくれた「俺がここにいるから。東京の大学には行かず、そばにいるから大丈夫だよ。」この言葉に更に涙が止まらなくなりました。その後、主人も元気になり、息子も希望の大学に入学することが出来ました。あの時、まだ高校生だった息子があんなに頼もしいと思ったことはありません。人を気遣える優しい子に育ってくれたことに心から「ありがとう」と伝えたいです。
愛知県 48才 女性
妻へ
妻が職場で転んで手首を骨折してしまった。完治まで1ヶ月半という。その日から私は家事の全てをすることになった。妻は「ありがとう、感謝しています。」と、毎日幾度も言った。私はそんな妻に「こちらこそ、ありがとうだよ。今までどれだけ君がよくやっていてくれたか、よく分かったよ。本当にありがとう。」そう言うと、妻は笑顔で涙を浮かべた。私は「ありがとうね、治っても家事を引き受けるからね。ありがとうのお返しです。」妻は大粒の涙を零した。
三重県 76才 男性
おばへ
大学生の時、青森から出てきて東京は右も左も分からなかった私を、娘のようにかわいがってくれましたね。美味しい食事はもちろん、どんなときでも話を聞いてくれて、時には優しく、時には厳しくしてくれました。90才になった今でも気にかけてくれる優しさには感謝しかありません。あの頃からずっと体調が悪く、寝たきりが多かったですよね。自分が体調悪いのに「大丈夫?」と気にかけてくれるその優しい思いには、頭が下がります。助けた人にだまされたことも何度かありましたよね。それでも相手を憎むよりも、どうしているんだろうと気にかけるその懐の深さと優しさを私に教えてくれました。本当にありがとうございます。100才まで生きてね。
青森県 50才 女性
ママへ
ママはおこると、おにのつのをはやしておこる。昔はすごくこわかったけど大きくなるにつれて口答えをするようになった。私のため、と分かっていてもやっぱり自分の気持ちが乱れると反抗してしまう。でもママは優しい。雨がふっていたら、げんかんには長ぐつがおいてあったり、おこっても最後には「今度から気をつけてね。」と言ってくれる。私がいつもこうかいしていることは、ママに言われたことをできないことだ。「おふろに入って。」「おふろそうじをして。」「物はもとあった所にもどして。」それを言われると私は言う通りにしない時がある。それでも私がたまに言う通りにしたらママは「ありがとう。」と私に言う。ありがとうを言うのは私なのに。
愛知県 12才 女子
皆様へ
大学生の時、頸を怪我して以来、長い長い車イス生活を過ごして年齢と共に色々と気力体力の衰えを感じるのが辛い。自動車への乗降もそのひとつ。でもその時「大丈夫ですか?何か手伝いますか?」と声を掛けてくれる人がいます。そのひと声が、とてもとても嬉しいのです。そのひと言ひと声を掛けてもらう度に、今度は私も誰かにひと声掛けよう、と思います。今日もどこかで、そこにも、ここにも、その声が増えれば、もっともっと本当の優しさも笑顔も増えていく社会と信じ「何か手伝いますか?」そして「ありがとうございます。」をあなたに…。
埼玉県 57才 男性
夫へ
6年前、遠く離れて暮らす両親が、うつ病とがんになった。子どもは私一人なので、介護と仕事で身動きがとれなくなった。そんな時「仕事は誰か代わりがやってくれるけど、両親の介護は君しかできないよ。」と言ってくれ、長期の介護休暇を取るように背中を押してくれた。口数は多くないけれど、優しさが心にしみ、介護で押しつぶされそうになる私を支え、自分の親のように、私の親を大事に思ってくれた。亡くなった両親も、とてもあなたに感謝していると思う。心からありがとう。いつも優しさに包まれて私はとても幸せです。
大阪府 60才 女性
助けてくれたたくさんの方々へ
平成30年7月、 私の働いている地域一帯は豪雨災害にみまわれました。昨日までいつも通りだった街はあっという間に見るも無惨に変わり果ててしまいました。泥水が退いてからは、皆で力を合わせ、一生懸命復興に向け頑張っていました。そんな中、街中で3台のゴミ収集車を見かけました。そのゴミ収集車には「大分県」と書いてありました。「えっ?何で?」と疑問に思い知人に聞くと「以前、九州でも豪雨災害があり、その時に愛媛の人が助けてくれたから、その恩返しに来てくれてるんだよ。」と教えてくれました。それを聞いて心がとても温かくなり、もうとっくに通り過ぎたであろうゴミ収集車に向かって「ありがとう。」とお礼を言いました。全ての復興にはまだまだ時間がかかると思います。でも助けてくれたたくさんの方々の思いを胸に頑張っていきたいと思います。この場を借りてありがとうございました。
愛媛県 31才 女性
おばあちゃんへ
おばあちゃんは、何年か前からケガをすることが多くなっていたよね。それだけでもかなり心配だったのに、ついには病気で入院までしてしまって本当にいなくなってしまうかと思うと、とても怖かったです。この12年間生きてきて親せきが死んでしまうという経験はありませんでした。なので、その前にいつも言いづらいことをこの手紙に書きます。私のたん生日や記念日などには、プレゼントや好物の魚を送ってきてくれてありがとう。魚屋を営んでいるおばあちゃんの魚はとても美味しいです。そして今年の夏は一緒に遊びに行く約束をしたね。その約束を果たすまでは、がんばって病気とたたかってください。できればもっとずっと一緒にいたいです。
愛知県 12才 女子
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