- 家族へ
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実家を離れて初めて気づいた、家族の存在。あの頃は、家に帰ると電気がついているのはあたりまえ。ご飯が用意されているのもあたりまえ。つらい時、悲しい時、言葉はなくてもその存在に助けられた。社会人になって、初めての一人暮らし、初めての土地。何度も何度も、辞めたい、帰りたいと思った。けど、それでも頑張れるのは、心に家族の支えがあるから。あの頃は、言えなかったこの思い・・・。今なら素直に言えるよ。お父さん、普段は無口であまり会話もなかったけど、お父さんと電話するといつも涙がでるの。お父さんの存在が支えです。お母さん、いつも心配してくれてありがとう。いきなりくる電話もほんとはとてもうれしいんだよ。お兄ちゃん達、くだらない悩みも真剣に相談にのってくれてありがとう。両親よりも先に相談できるのはお兄たちだけ。みんなありがとう。今日もみんなのおかげで頑張れます。
- 愛知県 23才 女性
- お母さんへ
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毎朝「いってきます。」と言えば必ず「いってらっしゃい。」と笑顔で学校に送り出してくれるお母さん。「ただいま。」も「おやすみ。」も何かお母さんに言えば言い返してくれる。ケンカしている時も「いってきます。」と言えば返事をしてくれる。だから気持ちがブルーな時でも笑顔で学校に行ける。たまに、お母さんの方が家を出るのが早い時がある。そんな時は私から「いってらっしゃい。」と笑顔で言った。そうしたらお母さんも笑顔になった。そして気づいた。私の気持ちがブルーな時でも学校に笑顔で行けるのは、家を出る時に見るお母さんの笑顔があるからだと思う。前から「あいさつ」は大切だと思っていた。でも表情のことは考えていなかった。そんなことを教えてくれたお母さんにありがとう!
- 愛知県 11才 女子
- 老妻へ
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私の健康について、ことあるごとに案じてくれる吾が愛妻も傘寿を通過。もう自分のことに専心すればと思いつつも、ついグチをこぼしたり怒ったりしていた情けない夫でしたが、事後いつもすまなかった、悪かった、感謝の毎日だよと素直に言えないながらも行動で表せるようになりました。川になってより添い就寝する老妻が何故か愛しく、自然と手を貸す階段の昇り降り。一寸した贈物に大喜びの老妻。ありがとう。ほんとうにありがとうと言えるようになったこの頃です。ありがとう。愛しき吾が老妻よ。いつまでも元気で!
- 愛知県 86才 男性
- 親友へ
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キミが旅立ってからもうすぐ3年が経ちます。そっちは調子どうですか?僕は相変わらずです。1日たりともキミの事を忘れた日はありません。振り返れば小学校からの付き合い。社会人になっても付き合いが途切れたことがなく、僕にとってキミは唯一無二の親友です。遊びに誘えば必ず付き合ってくれ、いつも決まってカラオケ。僕の好きなバンドを勧めれば必ず好きになってくれた。心残りはライブに一緒に行けなかった事かな。何一つ文句を言わない、その真っ直ぐな優しさが大好きです。学校の英語教師になるはずだったキミの為に教師になる!!とまではいかないけど、空から微笑んで見守っていてください。心からありがとう。
- 愛知県 25才 男性
- 当たり前に変えてくれた人たちへ
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名古屋から愛媛にある実家まで帰省するのに、飛行機を使っても片道6時間かかる。遠いな、不便だな、と思っていたけど、この前帰省した時に、祖母がぽつりと言った言葉。「私らが子どもの頃やったら、名古屋に就職やなんか言うたら、一生会えん覚悟で送り出さんといけんかった。」帰省の度にとびきりの笑顔で迎えてくれる祖母の想いを、知った気がした。帰省できることが、当たり前だと思っていた。もう会えないだろうと覚悟しなきゃいけなかった距離を、たった6時間で繋いでくれた人たちに、感謝しています。
- 愛知県 26才 女性
- お母さんへ
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悲しい時も、怒っている時も、苦しい時もずっといっしょにいてくれてありがとう。私が二年生の時、同じクラスの子にいじめられていたよね。私は言うのが怖くて、言えなかったけど、私の消しゴムに「バカ」って書かれているのを見て、私が出したSOSに気づいてくれたよね。私はいじめられているって言わなかったのに気づいてくれてありがとう。「なんでいじめられるの?」「どうしてはやく言わなかったの!?」と私を責めようとせず、受け入れてくれたし、私の話をちゃんと聞いてくれた。先生にも言ってくれて、私は一人じゃないんだって気づかせてくれてありがとう。お母さんのおかげで私へのいじめは無くなったんだよ。私を助けてくれて本当にありがとう。
- 愛知県 11才 女子
- 亡き父と母へ
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大好きなお母さんが亡くなり四年、そしてお父さんが亡くなり二年が経ちます。二人とも辛い闘病の末、亡くなりました。あれから私は二人がいない寂しさと毎日闘いながら、寂しさに負けまいと頑張っています。母の日、父の日・・・。二人を亡くしてからは大嫌いな辛いイベントになりました。お店やテレビ、あらゆる場所で盛り上がるイベントに、目を伏せながら過ごしていました。でもそんな私も少しずつですが、ただ手を合わせ、ありがとうと伝える、それだけでもいいのだと思えるようになりました。物を贈るだけがありがとうの気持ちではない!言葉で伝えるだけでも、きっとお父さんお母さんに届いているはず。そんな気持ちをずっと大切にしていきます。お父さんお母さん、ずっとずっと大好き。たくさんたくさんありがとう。
- 愛知県 40才 女性
- お母さんへ
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私は今、親元を離れて一人暮らしをしています。家に帰っても誰もいません。今までは、家に帰ったら、「おかえり」と温かく声をかけて、夕食の準備をしてくれていたよね。あの頃の私は、それを当たり前のように感じていました。あの頃の私は、照れくさくて「ありがとう」なんて口にしなかったよね。今になってようやくお母さんのスゴさが分かったよ。ご飯を作るのって、洗濯をするのって、本当に大変だね。それを毎日やってくれてた事に本当に感謝しています。ありがとう。私もできるだけ頑張ってやってくよ。あんまり心配しないで、お父さんと仲良く楽しく過ごしてね。次に実家に帰る時は、前より立派になった姿を見せて驚かせるね。その時に改めて「ありがとう」って伝えるよ。
- 愛知県 22才 男性
- 家族へ
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ぼくは今までしあわせに、なに不自由なくふつうの毎日を送っていました。それが10万人に1人という難病になってしまいました。2週間に1回注射をして1日8個もの薬をのみ食べ物も限られている状態です。これが一生続きます。それでも家族は明るくふるまってくれます。時にはやさしく、時にはきびしく、以前通りの生活にしてくれています。父、母は弱音をはかないでぼくのために料理を工夫してくれます。姉は、ぼくのために食べれるおかしを作ってくれます。ぼくは腸の病気のため油が食べれません。なので、油をぬいた料理を作ってくれます。本当に助かっています。こんなぼくを大切にしてくれてありがとう。感謝しきれないくらい感謝しています。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
- 愛知県 11才 男子
- 夫へ
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私が聴力を失ってもう十二年が過ぎようとしています。あれからずっと頼りになるのはお父さんあなただけです。音のない世界にいるとつい他者との接触を避けがちになってしまうのをあなたの助けで巾広い活動ができています。海外旅行にもよく連れていってもらいます。手芸仲間との会合にはいっしょに同行してくれて女性陣と楽しくおしゃべりもしてくれます。最近は腰を痛めてしまった私の替りに台所にも立ってくれておいしい料理も作ってくれます。かゆい処に手が届く、本当に細やかな気配りができるあなたが私の世話をして一生終わるのはかわいそう。自由に生きて欲しいと思うけど・・・。でもやっぱり私のそばに居てください。いっぱい、いっぱい感謝している私のそばに・・・。
- 愛知県 62才 女性