ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2012

絆創造業 平安閣グループ

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お父さんへ
お前が本当にやりたいことはなんだ。そのためにすることはなんだ。ちゃんとみつめなさい。私が美容師になりたいといった時に父に言われたこと。ちゃんとみつめなさい。その言葉が私の美容師人生の原点です。すべてのことにおいて壁にぶち当たった時にふとよみがえる言葉です。お父さん、私、お父さんが大好き。いつだって私を助けてくれるスーパーマン。32年の人生は振り返ってみると、お父さんの肩車でみた景色そのもの。だって、いつだって困ってると知らないうちにさらっと助言してくれて、気付くと視界が晴れてる。本当にありがとう。これからもちゃんとみつめて自分の人生輝かせるからね。
三重県 32才 女性
母へ
一人暮らしから実家暮らしになった。母がいるとはいえ、ともに暮らしているのだから私も家事をする。そんなことは当たり前のことと思っていた。それなのに、夕飯を準備したり、洗濯物を取り込んだり、掃除機をかけたり・・・どんなちいさなことでも私がすると「ありがとね」と母が声をかけてくれる。私はといえば、ご飯を炊いてもらっても、洗濯物を畳んでもらっても、部屋を掃除してもらっても・・・お礼の言葉がさっと出てこない。それでいつも言わずじまいになる。それでも母はなにも言わない。日々のことにこそ「ありがとう」を言い忘れない・・・その大切さを教えてくれた母に、心からの尊敬をこめて、「おかあさん、ありがとう。」
愛知県 27才 女性
35年前の父へ
私が小学生だったころ、国語の授業で「ユズリハ」という植物の名前が出てきた時です。父に「ユズリハってどんなの?」と聞くと寡黙な父は黙っていました。その翌日の雨の日のことです。国語の授業中、いきなり教室の引き戸がガラッと開いて、ずぶぬれのカッパを着て長靴を履いた父が入ってきました。「ユズリハ、採ってきたぞ。」と。手には大きな枝がにぎられていました。私は恥ずかしいやら驚いたやらで泣いてしまいました。家に帰っても私は怒っていました。「若葉が生じてから古葉が落ちる。」からユズリハというその名前。自分も親である今、胸がいっぱいになります。35年も経つのにまだ言えていません。あの時はありがとう。
愛知県 44才 女性
20年以上の友達へ
覚えてるかな。私たちが小学生の時、クラス中の子に無視されてた私。私と口をきいたら無視されるのに「そんなくだらないことしたくない。友達じゃん。私は今まで通りだから。」って言ってくれたよね。あの時の気持ちは今でも絶対忘れない。強いあなたに憧れて、私も今は強い母親になれたかな?普段はこんなこと恥ずかしくて言えないけど。ありがとう。
千葉県 32才 女性
大切な家族へ
「ありがとう。」普段、何げなく使っている言葉のようだが、心の底から気持ちを込めて口にする機会は少ないと思う。会社生活や地域での諸行事、行きつけの店で交わす様々な言葉。そのたわいのない会話の中に、ふと心が和む瞬間がある。そう、「ありがとう。」と言われた時かもしれない。私はそんな言葉を自分の家族にも投げかけているだろうか。毎日、キリッと襟の立ったワイシャツを着て出勤できるのも、家に帰ったら温かい食事とお風呂が待っているのも、自分のことより家族のことを第一に考えてくれる妻のおかげ。毎日、学校での出来事や友達と遊んだことを、食卓を囲みながら目を輝かせて楽しげに教えてくれてる娘。何度助けられただろう。何度勇気をもらっただろう。心から伝えます。「ありがとう。」
愛知県 37才 男性
お母さんへ
自分がテストができなくて、くやしいとき「絶対できる」って言われると、あきらめずに頑張ろうって思えてくる。お母さんがいないときでも、テーブルにご飯が置いてあったり、洗濯物がたたんであると、元気が出る。くやしいとき、さみしいとき、自分がまちがってるのかなって迷うとき、お母さんがいなくても、声が聞こえて、ちゃんとできるって思える。お母さんは、いつも絶対怒らないけど、でも、だから失敗したり、まちがえても、今度は頑張って成功させるぞっていつも思う。お母さんは、心が強いから、にこにこできるけど、自分は心が弱いのでいつもくじけそうになる。でも、お母さんのように、心が強くなって、苦しいときも笑顔でいられるようになりたいです。お母さん、いつもありがとう。
京都府 10才 男子
22才の息子へ
覚えていますか?あなたが5才の夏でした。母さん、たった一人の姉を病気でなくし、毎日毎日泣いてばかりいたね。そうしたら5才のあなたが「ママ僕が大きくなったらお金いっぱいためて天国まで見える大きな望遠鏡を買ってあげるね。そしたら天国にいるおばちゃんに会えるから、ママもう泣かないよね。」と5才のあなたの思いもつかないやさしい言葉に、どんなに励まされたでしょう、ありがとうね。あれから大切な父・母をなくし悲しい思いをしました。けど天国まで見える大きな望遠鏡でいつも心の中で天国にいる父・母・姉に話しかけています。不思議と楽しいんです。そして生きているんです、心の中にいつまでも、父・母・姉は・・・。「天国まで見える大きな望遠鏡」は私の心の中の宝です。5才の息子、そして22才の息子へ。ありがとう。
愛知県 60才 女性
中学の時の先生へ
先生ありがとう。中学の時、不登校になった私の家に週2回通ってくれ、会いたくない日は手紙を残してくれましたね。あの頃はわがままで、先生の事を疎ましく思っていましたが、中3の進路相談の時、諦めていた高校受験で推薦をくれ、面接対策にも遅くまでずっと付き合ってくれた先生、合格時に一緒に泣いてくれた事が中学生活で何よりも嬉しく、印象深い思い出です。その後、高校から大学、院まで卒業をしました。先生には卒業後一度も会っていませんが、お元気ですか?先生と出会えた事で私の人生は大きく変わり、親孝行も出来たと思います。先生本当にありがとう。あなたが私の先生で本当に良かったです。
岡山県 24才 女性
孫へ
高2になり部活、塾と忙しい日々、時折妹弟にきつく当たることもあり、母親が心配していますが、おばあちゃんはあなたが幼稚園の年長の頃、近くの「老人保健施設」を通りかかった時に「年が大きくなって家のことが何も出来なくなったらここにこようかな。」と言ったら、「絶対駄目!今のお家にずっといて。お母さんや私が助けてあげるから。」また「あなたがお嫁さんになるまで生きていられるかな?」と言いましたら「赤ちゃんが生まれるまで生きていなければ、プンプンに怒るからね。」と言ってくれたこと、ありがとうね。今でもその時のことを思い出すと胸がいっぱいになります。いつまでも優しい心を持ち続けて素敵な女性になってくださいね。
愛知県 68才 女性
両親へ
いつもありがとう。母さんはどんな時も笑顔だね。感動する番組とかみるとすぐ涙を流す。いつも強い口調だけどその言葉の奥には僕に対する優しさであふれている。いつもありがとう。父さんはいざという時にパッと出てきてくれるスーパーマン。僕が悩んで相談する時も穏やかに話を聞いてくれ僕のことを考えた適切なアドバイスをいつもくれる。常に僕と同じ温度に立ってくれる。そしてそんな2人の忘れられないエピソードが一つ。高校で僕が悪いことをした時、どうしても自分の自由を守りたくて、心閉ざしていた時、「どんなことがあろうと父さんと母さんはお前の味方だから。全世界の人が敵になっても俺たちはお前の味方だよ。」このセリフ忘れない。あの時があるから今がある。2人の子供に生まれて本当によかった。心からありがとう。
千葉県 21才 男性
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