- 母さんへ
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小学2年生から地元のサッカークラブで毎日遅くまで練習して、練習着もスパイクもどろどろにして帰る僕に何の文句も言わず、「今日もよく頑張ったね。」と優しく迎え入れてくれた。高校総体で、惜しくも準決勝で負けてしまい落ち込んで家に帰ると、変わらず母さんは優しく迎え入れてくれた。しかし、そのときの僕にはその優しさが鬱陶しく感じ、無視して自分の部屋に行った。ふと、自分の机を見てみると、朝はユニフォームの下にあって気づかなかった手紙が置いてあった。「誰よりも努力を惜しまずサッカーを頑張るあなたは私の誇りです。試合頑張ってね。」僕を1番支えてくれていたのは母さんだったと、気づかされた瞬間だった。今まであまり言葉にしたことはなかったけど、本当に感謝しています。これからも応援よろしくお願いします。
- 愛媛県 18才 男性
- 床屋さんのおじちゃんへ
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子供の頃近所にあった床屋さん。そこのおじちゃんは所謂「褒め上手」。「ああ、この頭はとっても賢い子の頭だな、おじちゃんはみてすぐわかるんだよ、ああ、とってもとってもいい頭だ、いい頭だ、いい頭だ。」と散髪中、ずっと褒めながら、終始にこにこして頭を撫でてくれもする、床屋さんだったのです。お陰で学校などで嫌なことがあったりしたときも、このおじちゃんのところで散髪すると、すっかり嫌なことも忘れ、それこそ心も髪もさっぱりして、また学校にも友達にも向き合えたのです。魔法の床屋さんでした、本当に。いくら床屋さんがお客さん商売とはいえ、子供にそこまで心を傾けてくれた床屋さんは、後にも先にも出てきませんでした。ありがとう、おじちゃん。
- 東京都 63才 男性
- 父と母へ
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平日や休日、なかなか家に居る時間が合わなかった家族だったが、最近は仕事が終わる時間が一緒になったので、よく夕飯の仕度を3人でするようになった。大人になって社会に出てから、親の近くに居る時間がめっきり減っていたので、こうやって側に居ることが本当に久々に思えた。この年になって改めて両親を近くで見て、不意に涙が出そうになった。「仕事で傷だらけになってゴツゴツしている父の手」「家でも職場でも水仕事をしていてカサカサになっている母の手」「父の大きな手と、母の小さな手で大切に育てられたのだ」と実感して、20数年間、こんなに立派に育ててくれてありがとうと、心から感謝と、これからも宜しく、元気でいてくれと、心の中で呟きながら、向かい合ってご飯を食べる。あぁ、早く孫の顔を見せてあげたいな。
- 神奈川県 24才 女性
- 父へ
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私の結婚が決まり、両家の挨拶や顔合わせ食事会など順調にすすみ、全てが滞りなくいっていました。その頃すでに父の身体は病気に疲れていましたが、私達のお祝い事に水を差さないように心配させないように笑顔でいてくれていました。結婚式が済み一段落して父は亡くなりました。後から知ったのですが、主人と主人のご両親に私の事をよろしくと伝えていたそうです。そして自分の命はもう長くないことも伝え、葬儀の時は私が一人にならないよう側についていてくれと頭をさげてくれていました。主人もご両親もとても理解があり、温かく、ただ側についていてくれました。一人っ子の私の為に婿養子の話も頂いたのですが、父が許してはくれず、 籍は主人の方へとかわりましたが、今思えば新しい家族の一員となれたのはやはり籍の移動も重要だったのかと思います。最後まで迷惑心配かけてばかりのドラ娘でただただ申し訳なく、感謝の気持ちで溢れています。お父さん、ありがとう!!生まれかわってもまたパパになってね!
- 鳥取県 23才 女性
- 兄ちゃんへ
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小さな島に生まれ育った私たち。父さんは、漁師で家は貧乏だったよね。それなのに、友だちのオルガンがうらやましくて自分も買って欲しいと大泣きして両親を困らせた私。見かねた兄ちゃんが電波技術とかいう本を広げ、何日も何日もかけてオルガン作ってくれたよね。古い木琴を壊して鍵盤にしてドレミの音がちゃんと出て魔法みたいだった。毎日届いた一本だけの瓶牛乳。沖から帰った兄ちゃんの栄養源だったけどいつも少しだけ私に残してくれたこと覚えているよ。九才年上の兄ちゃんは私の中ではずっとスーパーヒーローだった。だから今病気なんかに負けないで。大事にしてくれてありがとう。
- 愛知県 55才 女性
- 社長へ
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小さい会社です。29才の時転職させてもらいました。今の業界に何の関わりがあるわけでは無い、まして事務職では無かった僕を躊躇わずに採用してくれた。何とかそこから12年自分でも採用してくれた恩返しは出来てるのかなとは思います。今不況、しかもなかなか帰るのが遅くなったりする仕事が増えて休日出勤、体調不良でも出勤しないといけない。そんなのが当たり前の中、社長は家族の為の時間は絶対に必要だから遅くなるな、休みは休み、じっくり休め、体調が悪いのに出勤してそれでミスをしても理由にならない、なら休んで万全で明日元気に出勤してこい。男気全開!何とかこれからも会社がこの状況でも踏ん張れるよう僕も頑張ります。採用して戴きありがとうございます!
- 大阪府 41才 男性
- 店員さんへ
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ある日昼食をとりに店に入りました。満席で座る事ができませんでした。少しして店員さんが「ボックスが空いたのでいかがですか?」と聞きに来ました。私は一人でしたし、他にグループも待っていたので「カウンターが空いてからで良いです。」と言いました。20分位待っても空かないので、あきらめて店員さんに伝え店を出ました。それから1ヶ月後位にまたその店に行きました。その日はすぐに座る事ができました。しばらくすると店員さんが私の所へ来て「○○様ですね。先日は大変ご迷惑をかけました。今日はごゆっくりしてください。」と言いました。なぜ私の名を?と思ったのですがすぐに気がつきました。先日の待ち順の所に名前を書いたからでした。店員さんが私の名をおぼえていた。その日は気分良く仕事をする事ができました。ありがとう。
- 愛知県 65才 男性
- 娘へ
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幼い時、あなたにはひどい火傷を負わせてしまってごめんなさい。その時は地獄に突き落とされたような気もちで現実を受け止めることがなかなかできなかった。あなたが誰かにいじめられはしないかなとか、結婚できるかなとかマイナス思考のことばかりが頭に浮かんできました。あなたはお母さん以上に悩んだり、傷ついたりしたことがあったと思います。しかし、あなたの成長、生活ぶりを見て火傷の痕を隠すことなく堂々と明るく生きている姿を見て、世間体、外見のことばかり気にしてる自分が恥ずかしくなりました。人の痛みもわかるようになりました。あなたの姿を通して母は大きな勉強をさせてもらったし勇気ももらい成長させてもらいました。あなたに一番ありがとうが言いたいです。本当にありがとう。これからもよろしくね。
- 東京都 54才 女性
- お母さんへ
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6才と4才の子供たちとお風呂に入っていたら、上の娘がガーゼの手ぬぐいで、私の背中を洗ってくれた。なんて気持ちがいいんだろう。この手ぬぐいは、子供たちが赤ちゃんの頃沐浴で使っていたものなのに、あの小さかった子が今では私の背中を洗い流してくれている。そして思い出した。小学生の頃、私もお母さんの背中をタオルで一生懸命こすっていたっけ。白くて広い、ちょっと柔らかいお母さんの背中。「気持ちがいいわ。ありがとう。」お母さんのその言葉が聞きたくて、毎日毎日こすっていたのに、いつから一緒にお風呂に入らなくなったんだろう。今度の帰省は、私が「ありがとう」と伝えながら、お母さんの背中を洗い流そう。
- 愛知県 32才 女性
- いのちを救ってくれた先生へ
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心臓の鼓動が止まった日。私が目を開けるその時まで、力を尽してくださった先生。今、こうして生きているのは先生の存在があったから。「ありがとう」では足りないけれど、「ありがとう」よりも感謝を伝えられる言葉がみつからないから、たくさんたくさん、「ありがとう」を伝えます。もう一度生きるチャンスをつかんだ私は、「生きる」の本当の意味を知りました。これから生きていく途中には、普通が普通にならないこともあります。でも今、私は以前よりしっかりと歩んでいます。先生があきらめずに闘ってくれたように、私もあきらめることなく、力強く生きていきます。生きてきたことを誇りに思える人生を感じるために。
- 東京都 33才 女性