- 友へ
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今どうしていますか?あの時、お金もなく食べることにも困っていた私にさりげなく、卵焼きと、焼き鮭、のり、お味噌汁の定食をご馳走してくれましたね。貴女は「お腹がすいちゃったから付き合って」と言い、私の心を傷つけないよう配慮してくれたものです。あの時の恩を、今どこにいるかわからない貴女に返すことは難しいけれど、貴女が撒いた親切の種を、私も出来る限りさりげなく撒き続けています。いつか貴女に「ありがとう」の花束になって届きますように。これからもその種を撒いていきます。
- 埼玉県 32才 女性
- 娘へ
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君はママのお腹の中で大きな病気になったんだよ。産声もなく生まれた君はすぐに集中治療室に運びこまれたんだよ。パパは先生から聞かされた。「助かる確率は10%以下です。」と。それから3ヶ月、パパもママも奇跡を信じて祈り、先生と看護師さん達は必死の治療を続けて下さりました。もちろん、「生きたい」という君の頑張りがあって、見事に命を勝ち取ったんだよ。右半身に麻痺は残ったけど、今元気な小学2年生。生きてくれて本当にありがとう。これから、君のどんな素晴らしい人生が待っているのか楽しみでなりません。いっぱい勉強していっぱい遊んで、好奇心いっぱいに成長してね。手足の麻痺も君の個性。なかよく付き合っていこうね。愛する娘へ、パパより。
- 大阪府 47才 男性
- 小学校時代の恩師へ
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当時、小学5年だった私はとてもおとなしく、授業で手を挙げることもできない内気な少年でした。半年が過ぎたある日、突然先生から「学芸会の司会をしてほしいんだけど・・・」と言われ、とても悩みました。人前に立つことのできなかった私は泣きながらもこの大役をこなそうと放課後先生と練習に励みました。結果、無事に終えたことで自分に自信を持つことができ、今の私を確立させてくれたように思います。ちょっとした気遣いで人の人生は大きく変わることを身にしみて感じた瞬間でした。あれからもう30年がたちますが、今でも年賀状を交換し交流を持っています。定年されてからもお体に気をつけてお過ごしください。「ありがとうございました。」
- 愛知県 42才 男性
- おばあちゃんへ
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入院をしている姉につきあっている母のかわりにおばあちゃんがきてくれた。おばあちゃんはいろいろなことを一所懸命やってくれた。私はおばあちゃんといる毎日がすごく楽しかった。でもおばあちゃんは家のどこに何があるかまだわかっていない。そんな時に私は優しく教えてあげることができなかった。おばあちゃんは今天国にいる。ずーっといっしょにいれて楽しかった。だけど、あの時優しくできなかったことをあやまりたい。私はおばあちゃんから人の気持ちを大切にしてその時に気持ちを伝えるということを学んだ。おばあちゃん、私に大切なことを学ばせてくれてありがとう。
- 愛知県 12才 女子
- お母さんへ
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ねぇ、お母さん覚えてる?私は五年前、仕事がきっかけで病気になってお母さんからもらった大切な命を絶つことばかり考えてた。これ以上苦しまないように楽になりたいって、そればかりを願ってた。今思うと本当に馬鹿だったよね、私。お母さんが私を抱きしめてくれた時すごくうれしかった。「もうがんばらなくていい、明日から仕事に行かなくていい。」そう言ってくれて心のどこかでほっとしたのを覚えてる。お母さん、私は今こうして生きてるよ。お母さんのおかげでまた仕事に戻れるようになったよ。がむしゃらに前に進むだけがすべてじゃない、時に休むこともすごく大事なことだって教えてくれたお母さん。本当にありがとう。私はこれからお母さんからもらった命、大事にしていきたいです。
- 神奈川県 31才 女性
- お母さんへ
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「お母さん」私が生まれてから何回呼んだのか数え切れません。「ありがとう」不器用な私はなかなか恥ずかしくて言葉に出来ません。でも心の中ではいつも「ありがとう」と感謝しているよ。働いていた私はお母さんに甘えお嫁に行くまでお弁当を作ってもらいました。毎日毎日早く起きて手作りのお弁当を持たせてくれましたね。仕事の退職の日、いつものようにお弁当を開けるとお母さんからの小さな手紙が入っていました。手紙を読んだら涙が止まらなくてお弁当食べれなかったよ。何があっても必ずお弁当を作ってくれたお母さん。全ての愛情がこもっていました。私も一児の母になり、もう少しで娘にお弁当を作ってあげる日がくるんだよ。楽しみだね。でももう一回お母さんのお弁当食べたかったな。お母さん心からありがとう。
- 山形県 33才 女性
- 父へ
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暑い中、六年間ありがとう。小学生の私は父の体型をやや気にしており、父が一番格好よく見えるスーツ姿での授業参観を希望しました。というより、スーツでなきゃ来ちゃダメ!と騒ぎました。真夏の暑い日、ハンカチを手にしっかりと持ち、ネクタイを締め、スーツを着込んで六年間欠かさず足を運んでくれましたね。今になって父の想いが嬉しく、私の我儘が恥ずかしいです。面と向かってはなかなか言えないけれど、いつもありがとう。これからも元気でいて下さい!
- 愛知県 34才 女性
- お父さんへ
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うつ病で会社を休職してから1ヶ月ほど経ち、いつ復職できるか不安な日々が続いた。休職直後は、優しかった妻や子供も徐々に冷たくなってきている気がして、家にも居づらくなってきた。そんな時、一人暮らしをしている父親に2年ぶりに会いに行き、現在の悩みを打ち明けた。そんな時、父から意外な言葉が返ってきた。「悩みを話してくれてありがとう。家族のためにも頑張りすぎずに今は休め。」との言葉であった。振り返ってみると、父に本音を話したことは一度もなかった。父のその一言で、逆に家族のために仕事と闘う意志が芽生え、翌週から復職することができた。父も私たち家族のために闘っていたのだと改めて感じた。お父さん、ありがとう。
- 千葉県 43才 男性
- 母へ
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当時、私が小学生の頃、台所の隅に竹筒があって、中には小銭が入っていました。母に聞くと、昔とても辛かった時、手をさしのべてくれた人がいて、精神的にも追い込まれていた母を助けてくれたそうです。その時の事を母はずっと忘れず、いつか自分も何かお返しをしたいと思っていたようです。買い物での釣銭を竹筒に入れて、12月になると竹筒を市役所へ寄付していました。母にいつまで続けるの?と聞くと、これを続けているから、子供達が元気でいてくれるから、やめるつもりはないよと言いました。晩年は、兄夫婦と同居していたので内職で得た収入を全て竹筒に費やし、最後まで子供達の健康と幸せを願ってくれた母でした。お母さんありがとう。
- 愛知県 64才 女性
- 笑顔をくれた患者さんへ
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看護師1年目、知識も技術もまだまだ未熟だったあの頃。父親と同じ年齢くらいの男性患者さんの採血をさせてもらいました。体調不良で辛そうな患者さんと同じくらい、緊張して青い顔で採血を行う私。手は震え、失敗してしまいました。無駄に痛い思いをさせ、自分が情けなくて落ち込んだ顔をしていると、その患者さんは笑顔で反対の腕を出してくださいました。2回目はなんとか成功。でもきっと、とても下手くそで痛い採血だったと思います。そんな私に「あなたの笑顔は安心感があるよ」と言ってくださいました。今は看護師5年目となり、後輩の指導をすることもあります。毎年新人さんが不安そうな顔で仕事をしている様子をみると、あの患者さんを思い出し心があったかくなります。自信を与えてくれた患者さんに、ありがとう。
- 福岡県 25才 女性