- 父さんへ
- 電車を待っている時に割り込みしてきたおばさんに「順番ですよ。」図書館で大声で話している高校生に「ここはあなた達だけの空間じゃないですよ。」いつでもどんな時でも見て見ぬ振りをしない父さん。良くも悪くも正義感の強い父さん。そんなあなたを幼い頃は恥ずかしく思っていましたが、そんなあなたのおかげで、正しいことは正しいと当たり前に言える大人になることができました。ありがとう。あなたは私の自慢の父です。来年の定年退職後、久しぶりに家族旅行しようね。
- 広島県 28才 女性
- 傘をなおしてくれた人へ
- この前、雨と風が強かった日に名前も知らない、しゃべったこともないけれど、ひっくり返ったわたしの傘をもとにもどしてくれてありがとうございました。全然会ったこともなくて、しゃべったこともないのに、何で親切になおしてくれたのかが不思議です。ありがとうございます。雨がすごくて、ビチャビチャになりながらなおしてくれてすごいうれしかったです。また今度会うことができたら、もっとしゃべってみたいです。ありがとうございました。
- 愛知県 12才 女子
- お母さんへ
- 厳しくて、優しくて、おもしろくて…全てが整っているお母さん。そんなお母さんの中で私が一番好きなお母さんは、厳しくて、優しいお母さんです。どういう意味かと言うと、厳しいお母さんは、私を怒ったり、注意したりします。優しいお母さんは、私を怒った後にだきしめてくれます。私のことを思って怒ってくれるのだけど、そうすると私はとてもイラつく。だけど、少し時間がたつと、私をはげましてくれるようにだきしめてくれる。その時、必ず私は泣いてしまう。その涙は怒られた時の悔しさと、だきしめてくれたうれしさがごっちゃになって、いつもの倍涙が出る。これが、私の頭の中に一番に浮かぶお母さんだ。いつも私の心の中に必ずいてくれるお母さん、心の底から「ありがとう」。
- 愛知県 12才 女子
- 友達へ
- ぼくが一年生になったとき学童に入りました。知らない人がたくさんいて、なれないのでずっと独りでいたら、学童の中で遊んでいた5年生の子が「いっしょに遊ぼう。」とさそってくれました。僕が返事をするまえに、手をつかんで「この子も遊ぶって。」と、みんなに言いました。その日はとても楽しい一日になりました。さそってくれた子は、みんなからちーくんとよばれていました。ちーくんがさそってくれなかったら友達もできなかったかもしれない。ちーくんみたいに、だれとでも仲よくできて、一年生にも声をかけてあげられる、そんなステキな人になりたいです。
- 愛知県 11才 男子
- 亡き夫へ
- 看護師さんから「耳は聴こえてますから声かけしてあげて。」と言われても、息子と私は何も言えませんでした。発病して一か月、しかも入院して二週間の父であり夫であったのです。ベッドの両脇で手を握りしめるだけしかできませんでしたが、私の口から「ありがとう。」のひとことが出たのです。静かに穏やかに、濃くて深い愛を込めた「ありがとう」でした。声すら出せないほどの息子の気持ちも察して。そのとたん、閉じている夫の目から涙が流れました。家族には最初で最後の涙を流して旅立ったのです。まちがいなく、心からの「ありがとう」の涙だったのでしょう。そう信じています。家族の絆は「ありがとう」で強く結ばれているのですね。
- 愛知県 71才 女性
- 助けてくれたお兄さんへ
- 「ガシャーン!」私は自転車から落ちてしまったね。あの時、あなたが助けてくれなかったら、私はきっと泣き崩れていました。私が自転車から落ちて、すぐにかけよってくれたお兄さん。やさしい顔で声をかけてくれて、タイヤのスポークにはさまった足をがんばってぬこうとしてくれたお兄さん。おまけに近くの自転車屋さんまで走って助けようとしてくれたお兄さん。本当にありがとうございました。足が痛くてあまり歩けなかった私に「足痛いでしょ、自転車持つよ。」こんなに気をつかってくれてありがとうございます。あなたのおかげで、他の人を助けようという気持ちが生まれるきっかけになりました。本当にありがとうございます。お兄さんは、私のスーパーヒーローです!
- 愛知県 11才 女子
- 兄嫁へ
- 「とうちゃんにでんわしてちょうでえ。」くも膜下出血で入院、半身不随の母は同じことをくり返し話す。認知症も進んでいた。「もう、なんべんゆうたらわかるん。」娘の私は、腹の中で毒づきながら「父ちゃんは40年前に死んだのっ!」と声を荒らげた。困惑した眼で私を見つめる母。ある日、病室に入ると兄嫁の声がした。「うん。あとでしてみようなあ、電話。」母の顔に、まるで目の前に父がいるような誇らしさを感じた。不自由な右手が兄嫁の腕をにぎろうとしている。私が介護の精神(こころ)を知ったのはまさにこの時。八年間、母に真摯な態度で語りつづけた兄嫁には「ありがとう」しかない。
- 大阪府 66才 女性
- お母さんへ
- 私の母親は障がいを生まれつき持っているけど、そんな事も感じさせないくらい、毎日仕事に行って、私や妹の世話をしたり、家事をやったりして大変なのに、笑顔でいてくれる母親が私は大好きです。喧嘩して悩んでいた時、進路について悩んでいた時、いつも私の母は、私の味方で、一緒に悩んでくれました。今の大学に行けたのも、母が毎日働いてくれていたからだと思います。母も悩んでいることがあるかもしれないけど、それでも、毎日私たちにご飯を作り仕事に行って、私たちのことをきちんと考えてくれる母がとても大好きだし、普段は言えないけど、常に感謝しています。私が辛い時抱きしめてくれてありがとう。いつも大変なのに私たちのためにありがとう!大好きです。
- 愛知県 18才 女性
- 祖母へ
- 私は両親を0歳の時に亡くしました。私を育てたのは当時55歳の祖母です。自分が同じ年齢になった時に、自分には一人で赤ん坊を育てるような気力、体力と精神力はあっただろうかと思い、とても苦労しただろうなと改めて思いました。祖母から「自分のことは、自分で決めて責任を持って生きるように。」と度々言われ、それをいつも心に留めながら今まで歩いてきました。ここまでこれたのも、祖母の愛情と強く生きようとする背中を見てきたからだと思います。心から祖母に感謝しています。どうもありがとう。
- 山形県 58才 女性
- 50年前の上級生へ
- 小学2年生の時に初めて迷子になった。引っ越したばかりで家への帰り道が分からなくなった。半べそをかきながらやみくもに走り回り、ますます知らない街へと入り込んでしまった。そこに現れたのが自転車に乗った上級生だった。大きな車輪の自転車に乗った姿がかっこ良かった。上級生はぼくを後部座席に乗せると、さっそうと自転車を走らせた。そして、わずかなヒントから推理して、ついに家を見つけ出してくれた。あの上級生にもう一度感謝したい。あの出来事のおかげで、困っている人を助ける人間に自分もなろうと、8歳のぼくは決意した。
- 北海道 56才 男性